今日、たまたまFBに流れてきた記事です。新聞の人生相談。私もこのコーナーってなんとなく記憶があります。どの新聞だかわかりませんが…。(たまにコンビニで買ってたころの朝日か??)
震災の時に祖母を置き去りにした自分を悔いる女子大生。
あれからずっと自分を責めていた彼女が、これで本当に開放されてくれたらいいなあ、と祈らずにはいられません。
個人的なことですが、精神年齢が80歳くらいらしい(笑)私の正直な気持ちでは、このおばあちゃんのような死に方が出来たら、ある意味最高に本望です。大事な孫を無事に生き延びさせることが出来たことで、おばあちゃんは誇らしく安堵して逝かれたのは確実だと思います。亡骸はどうあれ、魂は光輝いておられたと思います。
でもそのことで生き残った側がこういう罪悪感を抱かないようにきちんとフォローしてしてくれる人は切実に必要ですね。お孫さんも苦しかったのでしょうね、長い間…。でもそういう子だからこそ、守り甲斐があるんだな、おばあちゃん (^_^)
…もう、すでにおばあちゃんの方にすんなり感情移入出来る、そういう年齢になったのかもしれない。私にも守りたい年若い存在は少なくない。彼らは未来であり希望でもあるのですから…。
これからのお孫さんには思いきり幸せになって欲しいと思います。お孫さんの幸せがおばあちゃんの幸せ (^_^) 心の中でいつも語りかけて、おばあちゃんに伝えてあげて欲しいと思います。それがなによりの供養。おばあちゃんが命がけで守った孫が幸福になる。おばあちゃんにとって、それ以上の喜びがあるでしょうか。
私、もう、そのことだけは確信を持って言えます。幸せになってくださいね (^_^)
あれだけの震災のあとで、まだ癒されぬ心の傷はとても多く残されていると思います。
私ね、あの震災のあと、亡くなった方もですが、遺族の気持ちのケアがものすごく必要だと思いました。医療関係者だけですと限界があるでしょう。カウンセラーの人たちにも限界があると思います。
そういう時こそ、宗教関係者に動いて欲しかったのです。実際に動かれた方々はもちろんいらっしゃると思います。その方々には感謝したいと思います。
でも、あの、あれだけの大惨事で、気持ちが動かず、行動が変わらない宗教者だったら値打ちはない、と正直に思いました。だから自分の菩提寺も見捨てたままにしたんです。
亡くなられた方々は、非常にお気の毒ではありますが、少なくてももう悩まなくてもいいのです。悩まないといけないのがそのひどい現実の中でも生きていかないといけない人たちです。そういう人の心のフォローが出来ないなら、宗教者として失格だと思いました。
別に信者を増やせと言うのではありません。ごく普通に人として人の哀しみに対峙して欲しかったのですね。むしろ信者云々はややこしくなるから、この際宗教色はなくていいです。ない方がいいです。
ひとりの人として、対応して欲しいというのが本音です。
これからの未来、お墓も減るばかりでしょうし、檀家制度などもなくなるかもしれません。こういう時に力を持つのはキリスト教の方なのかな?仏教も墓地だの檀家だのに縛られない方がむしろブッダの意志に近いかもしれませんしね…。
でも、どういう宗教にしても人々の苦悩と哀しみに寄り添うことが基本じゃないのかな?…私、間違っていますか?
亡き人の供養も大事かもしれませんが、残された魂の救済は後回しに出来ないのではありませんか?
…そういう素朴な疑問が頭の中でぐるぐるするこの記事でありました (ーー;)