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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「3.11霊性に抱かれて」と私の死生観

 

震災関連のテーマで私がもっとも関心を持ったのはやはり死生観と残された家族の癒しに関することでした。

 

気付いたらそういうテーマの本が非常にたくさん増えていたし、どういう精神状態の時でもこのテーマだけは素直に頭に入るので、すごいなあ、と自分でも思いました。

 

生と死と、看取りと残されたもののケア関係は離れられないテーマなんだと思いました。

 

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「3.11霊性に抱かれて」


3.11ののち、金菱先生のゼミの学生さん達の本をずっと追いかけていて気付いたことがあります。災害での死は非常に理不尽で特別のようでもありますが、突然の大災害で大切な家族を亡くし、故郷を亡くした人たちが、どういう心の過程を経て哀しみを受容し、再び生きる力を取り戻すのか…。そのどこかで私は自分の父の死にまつわる記憶と想いを重ねて読んでいました。

 

私は在宅介護で父を看取ったので、その死には心の準備をするための余裕があったけど、それでもすべての人の体験を亡き父と共に読んだ気がする。見えないけれども父は呼べばそばにきてくれる、という感じが消えない。信仰のように確かに。

 

やはり感覚的に生者と死者を隔てるのはPhotoshopのレイヤーみたいなもので、非表示になっているので、あるんだけど見えなくなっている、という感が強い。だから家族が夢の中で会いにきてくれてもまったく不思議ではないと思う。

 

そういう感覚が日本人特有のものかどうかはわからないけど、やはり一種の信仰だと思える。語りかける近い距離に死者がいる。本来、仏教とは無関係なお盆やお彼岸の行事を見ていてもそう思う。死者は身近な場所にいる、と感じている日本人。

 


「3.11霊性に抱かれて」の中に出てくる、死者にあてた手紙を投函する漂流ポスト。語りかけるように死者への便りをしたためる。

 

カウンセリングだけでは不十分なことがある。そのかわりを「死者に手紙を書く」という行為が埋めてくれている。誰かがそれを読んでくれる、という形は自分がブログを書き続けていることととても近い。


書くことで癒され、整理される効果は大きいと思う。その過程で死者と語らい徐々に生きる力を取り戻していく人々。

 

そういうもろもろのことが今の世の中で生きづらく悩んでいる人たちの魂を救うヒントにもなるのではないかと当事者である私は思っている。メンタルの病と闘う人にも勇気のかけらになる気がするし、ヒントにもなると思う。

 

結局、死は誰にとっても特別なことではないので…。死を思うことは同時に生を思うことでもある。

 

喪失の痛みにただ寄り添うことは難しいけれど、じっとつかずはなれずそばにいること…。ただ話を聞くこと…。それらはもっとも効果的な無言の励ましかもしれない。

 

 

 

能の世界も夢幻ですし…

 


そういえば能の世界において、シテの多くは亡霊です。亡霊じゃなくても眼が不自由だったり、人とは違う容貌だったり、愛する人に去られた狂女だったりもする。生前では功を為した武将も死後の苦しみを訴える。

 

こうしてみるとシテはほぼ弱者だなあ。弱者の哀しみを受け止め、傾聴するワキはおおかた旅の僧だったりする。

 

旅の僧は亡霊に出会っても怖れたり調伏したりはしない。死者や弱者の嘆きや哀しみ、反省などをただ聞いている。そしてあの世への旅立ちを促す。

 

なんだか日本の死者と生者の関係は昔からこうだったような気がする。境界がかなり曖昧ですね。



www.the-noh.com

 

死者を悼むということは同時に自分が癒されているということかもしれないなあ、と私は思う。

 

 

 

これからの宗教への希望など

 

 

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今時の宗教者は死後の供養のことだけ考えていればいいわけじゃなくて、苦労の多いこの世をどう生きるかとか、どうすれば安心して死ねるのか?とかそういう切実な悩みにちゃんと答えられる人じゃないとダメなんだよね。もちろんそれを実践させている方もいらっしゃいますが。

 

3.11のあとでそういう行動を起こされたお坊さんの話もお聞きしていますが、市井にあって、現世で苦しむ人たちには死者の何倍もの親身な心で寄り添って欲しいと思います。ネットで相談サイトがありますが、親身に聞いてくださる方もありますが、正直まだまだと思います。

 

仏教なら仏教の思索を庶民の次元に一度おろして、それから再度引き上げるようなことも必要だと感じています。そういうのが安穏としていると無理なんですよね。市井の苦労人の方が先に悟っちゃってるし。それを踏まえてよろしくお願いしたいです。死んじゃった人よりも今生きている人を助けてください。

 


上記のつぶやきを書いたあとで、「3.11霊性に抱かれて」の中でひとりの「宗教性」と「人間性」を兼ね備えた僧侶に出会いました。この人は自分の弱さを知っている。被災者と同じ立場で、同じ高さから弱さを自覚しながら出来ることをしていく…。本当に必要なのはこの人の姿勢じゃないかと思う。

 

弱者の目線と共感。多分今は世の中すべてでそれが求められていると思う。

 

 


本のご案内

これ以外にももっと読んでるけど、代表的なものだけね (^_^;)

 

 

呼び覚まされる 霊性の震災学

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悲愛―あの日のあなたへ手紙をつづる

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私の夢まで、会いに来てくれた ?? 3.11 亡き人とのそれから

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魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

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津波の霊たちーー3・11 死と生の物語

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震災後の不思議な話 三陸の怪談

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遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

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おもかげ復元師

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3.11霊性に抱かれて: 魂といのちの生かされ方

3.11霊性に抱かれて: 魂といのちの生かされ方

 

 

 


「呼び覚まされる 霊性の震災学」の中に描かれていたエピソード。

 

タクシーの中に指輪を忘れて消えた青年。運転手さんは「今度会ったらお返しします」とその指輪を大切に持っていらっしゃるそうだけど、その後青年は取りに来たのだろうか?無事に彼女に手渡せたのだろうか?…いまだにどこかで気にしている。この話大好きだ (^_^;)

 

 

 

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