お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「一番好きなこと」を仕事に出来ない理由

右手人差し指の先に血豆が出来ているせいで、キーボードがうまく打てません。いつもより誤字が増えそうですみません。

 

昨日、特養の相談員さんから、母の診断書が出来たと電話がありました。が、電話でも私の声の違いがわかったらしく、「すみません、この風邪がもうちょっとましにならないと行けません(>_<)」と言ったら、「じゃあ、お送りしましょうか?」と言ってくださったので助かります。診断書代は次回にお支払いすればいいんだろうか?(まとめて引き落としかもしれないけど)

 

それが届けば、母の手続きと私たちの自立支援関係の手続きに先に役所に行けると思います。出来たら明日あたり、かな?自転車ではまだ体力的にきついかな?行きの登りが(若い時は自転車で登れたんですけどね)。タクシーワンメータで往復するかな。寄れたらスーパーにも寄りたいけど、マッサージの時間とのかねあいが難しいかもしれません。風邪引いただけで予定が全部狂ってます。やだなあ… (ーー;)

 

 


昨日の話題と続きます。

 

参加する予定でいた展示会はなんと今年は休みだそうです…。がっくり…。来年に確実に開催される保障はないけど、来年のためにも引き続き描くつもりはしていますが…。この展示会は海外展もあったりしたので、そういうのがいいなあ、と思っていたんですが…。まあ、仕方がありませんね。

 

で、今年の入賞者さんたちを見ていると、なるほど、という方々ばかりでした。すでに雑誌などの挿し絵を描いていらしたりとか。納得しながらまた改めて思いました。私にはニーズに応えて商業的な作品を描く技術って多分ないなあ、と。

 

 

このあいだ画集をもらっていただいた社長さんに「独特の世界観」と言われました。その「独特の世界観」は私が本当に「描きたくて描かずにはいられなかったもので、おそらくは精神的なバランスを取るためにも有効な作用をしたもの」だと考えられます。

 

「こういう世界を描いて欲しい」と言われて、それが私の世界観の延長戦上にあるものならまだしも(実際にそういう場合はいままでも、いまもこの先もお仕事をお受けしてきましたし)まったく違うものだったら、たとえば小説ならば、読者としてその作品に惚れ込んで、「是非とも描きたい」と思った場合は描けそうですが、そうじゃない場合は多分無理です。

 

 


「絵を描くのが好き」と言ってもいろいろあって、本当に全般的に好きで何事も器用に描ける人は仕事をするのに向いていると思います。人物は得意じゃないけど、風景画なら…という方は、それはそれで活躍の場があるんですよね。

 

私の場合「一番好きなこと」が「それがなければ生きていけない」ほど生死に直結していて、だからこそ、それを守らないといけないから仕事にも出来ない、っていうのは厄介なタイプかもしれません。

美術史や歴史に名前も作品も残さなかったけど、こういうことで悩んだ人ってきっといたと思います。とりわけそれが精神疾患と結びついていた場合はね…。切実さのようなものが痛いほどわかります。

 

 


現実問題として、その「一番大切なものを守るために」それを仕事にせずに生きて行こうと思ったら、二番目や三番目以下で、あんまり無理なく嫌いにならずに出来ること、をやらないといけません。で、そちらを仕事にするんだよね。

 

 


まあ、「好きなことを仕事にする」とか「好きなことは仕事にしてはいけない」とか色々と論争されていますけど、けど、案外私みたいな人間にはそういう単純な問題じゃないのかもしれない、と思いました。なにしろ生死に結びつくことだから…。

 

やっぱりアドラー先生みたいに自分を見つめて、他人の価値観に左右されないように選択しないといけないなあ、と思います。

 

2番目以下に好きなもの、わりとたくさんあって、またそれなりに悩むんですが… (ーー;)

 

f:id:haruusagi_kyo:20160127093051j:plain

 

 

 

Copyright (C) 2001-2018,Haruusagi All rights reserved.