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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

一番好きなことは仕事に出来ない私の理由

 

相変わらず、寝込んでいる時間が長いです。なにもはかどらず気ばかり焦りますが、仕方がないですね。

 

行けたら明日は母の所に行きたいと考えていますが…。

 


人生で手に入れたいもの

 

またですか?と言われそうですが、好奇心と「ネタにもなるから」というのでついついやってしまう心理テストの類です。こういうのはわりとよく見かけますけど…。

 

corobuzz.com

 

やってみましたら、私の場合、「じゆう」「きぼう」「やさしさ」でした。

 

特に「自由」というのはなにを何度やっても真っ先にキャッチする言葉です。私にとってはそれだけ大事なのが「自由」なのかもしれません。

 

 

お金よりも自由が大切なライフワーク

 

実は今朝起きた時にふと考えていたので、Twitterでもつぶやいていますが、2年ほど前、一時期(いまでもそうかな)「好きなことを仕事にしよう」というのをあちこちで見かけるようになっていました。

 

まあ、それも悪くないかな、と私も思っていましたけど、いろんなことを試してみて、自分には無理なことが多いなあ、とわかりました。

 

たとえば文章を書く仕事、ライティングですが、クラウドソーシングを見ていると、案件はいろいろあるんですが、なにかのテーマで適当に文章を書く、というのは自分には無理だと悟りました。特に美容とかは自分がまったく関心がない分野だから駄目です。つまらないし。

 

小学校の時に、読書感想文の宿題が大嫌いでした。大抵は課題図書、感動するかしないかは読者によりけりだし、こういうふうに書けば大人にはウケるんだろうな、というのも推測出来たけど、あえてそういうのも書きたくなかったし。

 

いまなら自分が読みたくて読んで感動した本のレビューくらいは書けると思うし、ごくたまに書いてますけど、そういう行動ってどこまでも自発的なものなんですよね。


仮に、「こういう文章をこういう感じで書いて欲しい」と言われても私には無理だと思います。「好きなものを好きなように」ではなくて、「クライアントの希望のように」というのが無理… (ーー;)

 

絵もそうですけど、ブログなんかもお金に無関係で好きなものを好きなように書いているから、ずっと好きでいられて、ずっと続けられるんだと思っています。

 

それくらいのこと、ですが、実はこれが大きなことで、自分が書きたいものを自主的に書く、というのはあくまでも自由な行為なんですね。その分責任もありますが、他者の思惑を入れないで(お金がらみじゃないってそういうことかな?と)「好きなことを好きなように書く」ことほど、私には大きな価値は存在しないのでした。

 

絵も文章も自分が生きることに直結しているものなので、その主導権というか、自由は最後まで死守したいと思っています。

 


仕事にするなら3番目以下だなあ…

 

だから一番と二番目に好きな絵と文章は仕事にすることは出来ません。制約絡みになるとどちらのパワーも死んでしまうから…。

 

だから仕事にして、お客さんからの要望を受け入れることが可能な、妥協もそこそこ出来ることってデザインしかないなあ、と思います。

 

デザインはまだ自分でも勉強途上のような気がしてますし…。新しいことを学ぶのも楽しいし。

 

ものすごい狭い選択肢ですが、まあ、そういうことに気付けただけ、2年程度の試行錯誤も無駄じゃなかったみたいです (^_^;)

 

 

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