少しずつ準備しています
昨日、私は予定通りにクリニックを受診して、採血も済ませましたが、弟は腰痛で歩けない、と言って受診することが出来ませんでした。仕様がないから私がかわりに報告して薬ももらってきましたが…。夕方にはわりと痛みもなさそうな感じなので、なんだかなあ?と思っています。前に整形外科に行った時も通うほどではないらしかったし…。でも「我慢出来ない」と鎮痛剤を飲みたがる傾向があるので、そっちの方が心配です。
木曜日からの浴槽塗装に備えて、日程を調整していただいて、水曜日の午前中が訪問マッサージ、お昼過ぎが作業療法士さんになりました。ゴミの収集日でもあるし、なんだか忙しい日になりそうです。
両隣のお宅にはご挨拶を済ませました。気は心なので、タオルじゃなくて布巾セットなどお持ちして。おばちゃんは日頃から親しいからすぐにつかまったけど、反対のお隣は昼間仕事に出ておられるので、夜にやっと挨拶出来ました。
地味に着々とものごとが進んでおります。ひとつずつ片付けていかないとどうしようもないんだよね。お絵描きと同じです。目の前の地味な作業を続けていくことで完成に至るんだ、と自分に言い聞かせています (^_^;)
ついでに別の会社にトイレの床の貼り替え(いや、上から貼るんだな)についても問い合わせています。安くで出来るならプロにお願いした方が絶対にいいよね、と思うので…。自分に完成させる自信がないから… (^_^;)
来年のカレンダー(左)と今年のカレンダー(右)
TOLOTさんのスタンドの形式が変わりました。左の方が安定感がある気がします (^_^;)
幼児の頃から私は私だったなあ、と思う
「どんなに馬鹿なことでも最後まで貫けば本物になる」
(悪いことって意味じゃないですよ。愛すること)
この言葉好きだからよく思い出すんですが、なんとなく振り返ると、今の私のひな形みたいな原点は幼稚園の時代に早くもしっかり存在していたような気がしています。
なんだかあの頃を基本にして大人になっただけのような気がしなくもありません。4、5歳の幼児がどこまで自分の本性に気付いていたかと思うと不思議ですが、でもやっぱりその当時から私は私でした。
大人数の子と付き合うのは苦手、他の子の集団の中でお遊戯とかするのも嫌い、でも気が合う少人数の子たちとならうまく遊べる。けれども圧倒的に好きだったのは園内にあった本を全部読み尽くすことと、誰よりも早いペースでお絵描き帳を埋めていったこと。
俊敏な子ではありませんでした。運動神経は壊滅的状況だったし。でも学校時代はもちろん、現在に至るまでいじめに遭遇したことはありませんでした。昨日Twitterの方で、精神疾患の人が過去にいじめに遭っていた確率が80%以上だった、というアンケートをみかけましたが…。
発達障害の人なら、そういう経験をされている人が多いかもしれませんよね。病気か個性かと論議になっていますが、それもデリケートな問題だろうな。いじめの経験をしなかった人はマイナスイメージが少ないかもしれませんし…。
その時から一番好きなことは変わらない
それで、私は幼児の頃から暇さえあればお絵描きしているのが大好きな子でしたが、大人になったらなにになりたい、とか画家になりたいとか、イラストレーターになりたいとかはやっぱり考えていませんでした。
でも「お絵描き」というのは私にとって特別なもので、なににも変えられないくらい大事なものだというのは気付いていました。だからこそ、それを職業にすべきではないと無意識が感じていた気がします。
自分にとって一番大事なものだから、誰かの意見を聞いて、もしくは注文に応じて描くようなことは多分出来ない。商業絵は描けない。描きたいモノを描きたいようにしか描いてはいけなくて、それが一番大切なことだから、だからプロになろうとは思わなかったのですね。
「一番好きなこと」だから。妥協をしたくないし、なにがあっても生涯守り通したいものだから、だからこそこれを仕事にするのはやめようと思いました。
だって仕事にしてしまうと完全に自由ではなくなりますし、妥協もしたくなくてもせねばならなくなりますし…。好きなことだから宝物みたいに聖域に置いておきたいのです。
だからいついかなる時でも「絵が描き続けられるように」というのを第一条件に自分の仕事などを決めてきました。お金にならないことのために、ですが、これが私には一番大切だったのですね。私が私であるために。
べつにたいして上手くもないし、才能があるかないかもわからないものですが、これがないときっと生きていけないと思う。それはもう確実にわかっています。だから私の核になるものですね。
デザインは二番目だから…
わりと好きだけど、「他の人やお客様の要望を受け入れてそこそこ妥協することが可能」なのはやはりデザインの方です。たぶんこれでないと仕事には出来ません。わりと得意だけど、妥協も可能なことなら仕事に出来るなあ、と思いました。
まあ、私としては絵さえ描ければ他の仕事でもかまわないのですが、現状を考えると在宅でしか無理なので、そこは生かせるものを生かすしかないと思っています。
幼児の頃から変わらないって、まあ、なんて頑固なんだろう、と呆れますが、それゆえに軸がブレない人間でもあります。世間がどうあっても自分の軸は変わらない。変えられないけど、たやすく変わるようなら偽物なんだろうな、と思います。
これから先の人生も「描きたいものを描きたいように描く」ために続けていくんだろうなあ、と思います。もしかしてめちゃ不器用?…まあいいか、それが私なんだろうし…。
「私であることを全うする」ためにどこまで行っても幼児の私の相似形なんだろな、と思っています。