つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

数十年 軸がブレない不器用な生き方

 

若くても大人だなあ…

 

羽生弓弦くんのインタビューを聞きながら、若いけど大人だなあ、と思っていた。多くの経験をしてたくさん考えてこないと出てこない言葉たち。考えるのは自分の習性みたいなものだって言ってたけど…。

 

甥っ子と3、4歳しか違わないはず。甥っ子にしても生まれた時からずーっと知ってるから(もう10年近く会ってないけど)10歳までと10歳以降とでは成長の中身も違うだろうしなあ、と思った…。いろいろ思うことがたくさんあります。

 

 


いくつになっても軸はブレないし変われない

 


一方で私自身はこういうことを考えていた。

 

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私にとってお絵描きというのは単なる趣味ではないのですね。そういう次元のものじゃない。でもそれをお金に換えるものでもないのです。むしろお金に換えた途端に自由を失ってしまうから、換えてはダメなんですね。「好きなものを好きなように、好きな時に描く」からこそ意義があると言えましょうか…。

 

幼児の頃から、これが最大の目的として存在していて、だからその後の人生の選択の時にはまず第一に「絵が描けること」を条件として選択してきたので、他のことは結構どうでもいいような人生だと思います。

 

お金は必要だから、仕事はしてたけど、20年働いて、本当に会社勤めは向かないと思い知ったし…。まあ、いろんな経験は栄養になりましたけれども…。

 

で、いまさら自分にとっての大事なものの優先順位はこの先も変わりそうにないし、たやすく変わるようでは本物ではないので、なにをどうしても描くことはやめないだろうな、とは思います。

 

 


自由であるために必要なこと

 

お金を儲けたいとか、有名になりたいとか、そういうことは本当にどうでもよくて、ひたすら続けられる体力と、ささやかな経済力は欲しいですが、あとはいらないなあ。

 

それで本当に書けなくなったら生きている意味がないので、潔く死ぬか、どこかのお寺で出家でもしてぼーっと過ごすか、そういうことしか考えられない。いや、やはりそれ以前に「描かない」前提が浮かばないので無理だな… (ーー;)

 

こういう趣味的というか、精神的にはすごい画家みたいなものを持ってしまったわけですが、思えば結構幸せかもしれません。「描かないと生きていけない」し、「それ以外に大事なものなんてない」って思ってしまったんですね…。もはや「趣味」なんて呼べないと思う。人生の軸がそういうものなんだなあ…。結構因果だなあ… (^_^;)

 


体力が落ちてきているから、もう本当は好きなことだけしたいけど、お絵描きにはPCもソフトも必要だし、それを買い替える費用も必要です。画材だもんね。

 

そういうことを考えるとやっぱり自由に使えるお金は必要なんですね。だからずーっと仕事のことは考えています。ノイローゼになりそうなくらいに…。自由のために必要なお金ってあるよね。それだけのこと。

 

 


もうちょっとです

 

で、描きかけの作品はもうじき完成します。これ背景。

 

素材が出来て、ページが出来て、サイトの更新を済ませてからでないとお見せできませんが…。サイズだけは大きいです。B2になってしまいました。

 

 

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