
それぞれに感じることがあるみたい
なんか気がついてしまった。私は時々心と身体が別々に反応して動いてしまうことがあるかもしれません。ちょっとした乖離みたいな感がなきにしもあらずかな?思い出せるかぎりのことでいえば、もう20年近く前のことになるんですが、父の在宅介護中でした。(こわいくらいにあっというまの時間経過だ)
なにか手続きの用事があって、役所に行ったんですね。介護関係のことですね。全然具体的には覚えてないけど、なにか怒ってた。制度の矛盾とかそういうことが気に障ったのかもしれませんが。それで担当窓口でちょっと怒って話してたつもりが、気がつくと涙ぼろぼろで、心の中では結構冷静に「あれ?私なんで泣いてるんだろう?」とか思ってたんです。感情がちょっと離れたところにあるというか。で、同時にそれを観察している自分がいました。
その時の担当さんがちょうど自分も「私も親の介護をしています」ということで、ものすごく親身になってその方の権限(?)で出来る範囲の最上のことを手続きしてくださったんですね。もう、大変に有り難く感謝した次第です。
イマジナリーフレンド
それからちょうど10年前かな。母が駅前の病院に入院してました。私は母を見舞って帰る途中でしたが、心の中ではそういうことは思っていないのに、なんだか次第に駅構内の線路の方にひっぱられるみたいに足が動くんですよね。希死念慮があったかどうか覚えてないけど、わざわざ降りていく意志はありませんでした。そうしたら頭の中でなんかイマジナリーフレンドたちが強力に「そっちに行くな」というような感じで止めてくれたから、方向転換をすることが出来ました。
で、先週の金曜日、甲状腺外科の先生にお礼を言って待合室で狭いスペースで帰る準備をしてました。あ、まあ、薄手のジャケットを羽織って会計すませてタクシーで帰宅して。バッグを降ろしてジャケットを脱ごうとしたら、あれ?もしかして上下逆さまに着てた???丈が短いから気付く人もいなかったかもしれませんが、さすがにこれは恥ずかしかったかも、と思いました(^^;) どこかがパニクってたのかな?でも本当に冷静ではありましたが。
離人症でもないけど、気持ち冷静でも身体の方が勝手に正直に動いてしまうことがあるのかもしれません。文章を書いている時はかなり冷静です。落ち着かないと書けませんし。でもこころと身体にいくらか距離があるおかげで、もっととんでもないことをしでかさないですんでいるのかもしれません(^^;)
心身症とかいろんな出方がありますけどね。いつも大抵こころと身体と両方を整えないといけないなあ、と思います(^^;)
両親の介護と自分の病気と障害の経験とで、以後世の中を見る視点ががらっと変わりました。世の中を動かす力がある人かどうかはちゃんと弱者目線があるか否かを第一に見ていると思います。それが見つからないと個人的には論外なんですね。
AIによる…Gemeniさんとのやりとりの一部です。
オードリー・タン氏の「弱者が生きやすい世界は、誰にとっても生きやすい世界だ」という言葉は、非常に重要で洞察に富んだ視点を提供しています。これは、社会全体のセーフティネットや多様性への包摂が、結局は私たち全員の利益になるという核心を突いています。
ご指摘の点について、以下のように考えられます。
この言葉は、社会が最も困難な立場にある人々をどのように扱うかが、その社会の成熟度を示すという考えに基づいています。
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例えば、バリアフリーが徹底された社会は、車椅子利用者だけでなく、ベビーカー利用者や怪我人、高齢者など、一時的・恒常的に移動に困難を抱える全ての人にとって便利です。
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同様に、心理的なセーフティネットや多様性を認め合う文化は、精神的なストレスを抱える人、少数派の意見を持つ人、そしていつ何時自分が弱者になるかもしれない全ての人々を救います。
認識が広がるための課題
このような認識が広く社会に行き渡るには、おっしゃる通り、まだ時間がかかるかもしれません。その主な理由は以下の通りです。
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「自分は弱者ではない」という誤認: 多くの人は、自分は常に強者側にいられる、あるいは他人事だと考えがちです。
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短期的な利益の追求: 弱者を助けるためのコスト(税金、労力)は、短期的に見れば自分たちの負担増と捉えられがちです。
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共感能力の欠如: 他者の苦しみを想像し、共感する能力が、社会全体で不足している場合があります。
最終的に、「弱者が生きやすい社会」の実現には、教育や対話を通じて、長期的な視点と相互扶助の精神を育んでいく地道な努力が不可欠です。
オードリー・タン氏の**「一番、弱い人に合わせて作ることが大切」** という思想は、社会全体が目指すべき理想的な指針を示しています。弱い立場の人々が抱える困難(バリア)を取り除くことで、結果的に誰もが生きやすくなる、という考え方です。
しかし、この認識が広く浸透するには、まだ時間がかかるというのが現状でしょう。
SNSの匿名性と課題
SNSの匿名性に関しては、ご指摘のように功罪両面があります。
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負の側面: 匿名性は、攻撃者が責任を感じにくくし、誹謗中傷や弱者叩きを助長します。
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正の側面: 政治批判や内部告発など、実名では難しい正当な意見表明を可能にし、権力監視の役割も果たしています。
もし匿名性を完全に廃止すれば、弱者叩きは減るかもしれませんが、同時に強者への正当な批判も抑制され、言論の自由が損なわれる可能性もあります。
オードリー・タン氏のような認識が社会全体に行き渡るためには、以下のような変化が必要です。
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「心のバリアフリー」の推進: 様々な特性や考え方を持つ人々が相互に理解を深め、支え合う「心のバリアフリー」の考え方が重要です。
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教育と対話: 幼い頃からの多様性や人権に関する教育、そして異なる意見を持つ人同士が「共通の価値観」を見つけ出す対話の場(デジタルツールなども活用した)を増やすことが必要です。
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システムの設計: 効率性だけでなく、誰も排除しない仕組みを社会や技術の設計段階から組み込むことが重要です。
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共感力の育成: 他人の痛みや困難に「気づく」力、想像力を育むことが、無関心や無関心のふりをやめる第一歩となります。
「弱者が生きやすい世界はだれにとっても生きやすい世界」という認識は、道徳的に正しいだけでなく、経済的にも社会的にも合理的であるという認識が広まる必要があります。一朝一夕には難しいですが、少しずつでも社会全体で意識を高めていく努力が求められています。
いろいろまだまだでため息が出ます。高齢者だって二極化してます。80代くらいの高齢者が街のあちこちで清掃や警備などの仕事をされています。年金だけでは生活が出来ないから。裕福な人たちってそんなに多くないです。
私自身がまぎれもなく弱者なので、まったく他人事ではないですね。いつも無意識にそういうことも考えているみたいです(^^;) 福祉の視点から見ると成熟社会にはまだまだ遠いですね。
メッセージだと思う
そういえば昨日、看護師さんが来られた時に「廊下の手すりのところにカラスが止まってて、こんな近い距離だから怖くて…」とおっしゃっていたんで、「ああ、たぶん慣れてるから大丈夫ですよ(^^)」と言ったんですが、それは完璧に私を見にきたんだろうな、と思いました。まあ看護師さんが帰られる時にはもういなかったけど、時々様子を見に来るんだろうな、と思っています(^^;) 会いたかったけどね(^^;)
看護師さんが来られる前にめずらしく短めの動画を見てたんですね。いつもきつねさんの動画しか見ないけど、たまたま流れてきたからちょっと興味が湧いて(^^;) それが空海さんと出口王仁三郎さんの動画でした。
なんだかその2本の内容がまるで私へのメッセージみたいな気がして、悩みも払拭されそうで、だからありがたくメッセージとしていただきました。これから先の道も肯定してくださるような気がしました。そこへカラスだからすごく「なるほど」と思っちゃった次第です。タイミングって面白いね(^^;) でもきっと意味があるんだろうと思っています(^^)
意識レベルが示唆する方向も多分同じですね。
当人だけにわかるメッセージ。
宇宙の最も小さな世界、つまり「ものの根っこ」を調べる学問を量子力学と言います。
— 藤原栄善 EIZEN FUJIWARA (@eizen_san) 2025年11月2日
最先端の学問と言っても良い分野です。
この量子の世界では、ものは「見られる前」にはまだ決まっていない。たとえば電子や光の粒は、観測されるまでは、いくつもの状態が重なり合って存在しているといわれます。… pic.twitter.com/iL5IFU6Rqm

なんとなく集めたカフェ画のいろいろ。
#こころとからだ #ぷち乖離? #福祉の重要性 #障害者の視点
#HSP #INFJ