さすがに師走だ 急に忙しい
またまた仕事の返事待ち時間に書いています。
一昨日入ってきた2件のお仕事はクライアントさんとの連絡が非常にスムーズに運んだため、昨日の夕方には納品が完了。「早くて出来がいい (^_^)」と喜んでいただきました。やはりネットでの仕事のやりとりはマメでないと上手くいきませんね。お互いに早く作りたい、という意志があれば、連絡もスムーズですし。一度に二人分をやっていても充実感があります。
で、良かったなあ、とホッとしました (^_^;)
そういうメールのやりとりをしているうちに某ネットメディアのスタッフの方から、「ブログを紹介させて欲しい」というようなメールをいただきました。どうも年賀状関係の記事らしいです。よくああいうのを見つけてくださったなあ、と思うんですが、「あれでもよろしければどうぞお願いします」ということで…。
ちゃんと紹介されましたら、またお知らせさせていただきますね (^_^;)(いまは本当になるかどうか疑っていたりするので…)
「人生の設計図」ってありそうな気がする
思えば私は若い頃から占いや心理分析的なものが好きだった気がします。そうはいってもお金がないので、その類の本を読んで、自分であれこれと計算し、「ふんふん、なるほど…」と照らし合わせて参考にする程度で、特に占いには本格的にはまることもなく、わりとすぐに忘れてしまったりしていました。
でも算命盤やホロスコープを作成するのは結構面白かったかもしれません。いまならwebサービスであっというまに出来てしまいますが…。数秘なども昔は全部自分で計算してたんですよね~。
あと、心理学っぽい本も多分いろいろ読んでいます。ユングとか。読んだけどやっぱり忘れてるな。結局なんだろうな?自分のことをもっと知りたい、と思っていたのかもしれません。いつでも自分自身が「最大の謎」だと感じてたもので…。
昔にちょっと興味があったそういうものの内容はほとんど忘れているけれど、最近やった16性格診断とか、グッドポイント診断とか、そういうものの結果などが昔は漠然としていて意味がわからなかったことの真意に近づいているというか、何十年も経て、占いなどの結果が本当になっている感があります。そしてあらゆるものの結果が一つに集約されるくらいに近づいているのもわかります。
それでなんとなく気がつきました。人間って自分の一生の設計図…いや、おおまかだから青写真かな?そういうものを持って生まれてくるのかな?ということに。
で、生まれてからは試行錯誤して、自分の人生をひとつひとつ選択しながら生きていくわけですが、細かい部分も含めて、精密な設計図が完成してみれば、結局もとの青写真の発展系になるんじゃないかなあ、と…。いままで生きて、そういう実感が強くなっています。
よく考えると、非常に「自分らしく生きてきた」とでもいうのでしょうか?これは20代とか30代のころには予測も出来ないことでした。人生って不思議だ。でもひとつひとつのものごとを大事に自分で決めてきたら、やはり後悔は残りませんね。それが幸せだと思います。
才能って「続けること」しかないかもしれない
「絵を描くこと」
「読書」…いずれも物心ついた時から(多分1歳くらい)現在に至るまで数十年
「ギャラリーサイト運営」 16年
「ブログ」 12年
私の才能があるとするなら「好きな事をずーっと続けること」だけだなあ、と思います。
そしてなまじ好きなことをお金に換えると、もうそこで好きではなくなる可能性高い、というのも昔から自覚がありました。デザインの方は「好き」でいうと2番目か3番目だからなんとかなってるんだなあ。
ブログが続いて改めて思ったのは「文章を書くのも結構好きみたい」ということで、だからこそこれも仕事にはしづらいですね。本当に「書きたいことしか書けない」から。「こういうふうに書いてください」と頼まれても自分の心にもないことは絶対に書けません。「好き」ってそういうもんだよね。
書きたいことを書きたいように書いてそれでお金になるのならいうことはないですが、そういうことってよほど才能のある人でもなければ無理でしょう。こういうのって不器用だとは思いますが、それが私だから仕様がないなあ、と思っています。
結局、ずーっと続けるのはそれが生き甲斐で、人生の伴侶であるからなんですよね。
あー、こういう自分の性格は死ぬまで変わりそうにありません (ーー;)