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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

名も無き花(絵)はひっそりと荒野に咲く

昔、まだ結婚する前のうちの両親はよく日展でデートしていたそうです。これは母の証言 (^_^;) 絵画には特別に関心がないように思われる両親でしたが、意外にそういう文化的なことは好きだったんですね。まあ、母は絵画よりも書の方が興味ありそうでしたが…。

 

二人とも、私がまだパニック障害を克服していない頃、でもどうしても行きたい展覧会がある、というと、快くついてきてくれました。なので、私も安心して鑑賞することが出来ていたんですね。やっぱり親ってありがたい。いるだけで精神安定剤になる存在でした。

 

そのうちにましな時は自分一人で、能楽堂やら美術館やら博物館にも行けるようになりましたが、このごろ本当に余力も気力もなくてご無沙汰です。情けないなあ。せっかく常設展無料の手帳をもらっているのにね~。いまでもなんとなく地下鉄は好きじゃないけど、バスを乗り継いだ経路なら行ける気がする。暖かくなったら行けるといいなあ、美術館&博物館 (^_^;)

 

 

今、やっと母の診断書が届いたので、明日にでも役所に行こうと思っています。風邪の具合によって、母のところにも顔出しできるといいのですが、なんとも目まで(片方だけ)風邪引いてる感じなので(目やにがたまる)まだ無理かなあ、とも思っています。

 

今日はお昼過ぎからマッサージなので…。行くとしたら明日の午前中ですね。午後は訪問看護師さんですしね(^_^;) なんか妙に忙しいです。今日もさっき買い物には行ってきましたし…。100円ショップへ。

 

 

この写真は一目惚れして買ったクッションカバーです(100円ではなくてAmazonで買いました)。鹿とか鳥とか、いかにも森のイメージがツボでした。なんとなく隙間風が入りそうで寒い顔の横などに置いておくのにちょうどいいです。おかしなクッションの使い方ですが(^_^;)

 

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私がまだデザイン会社に勤めていた頃なので、20年ちょっと前でしょうか。

 

「これ、うちのおじいちゃんの形見なんです。絵がお好きな方々に見ていただけたら、と思って…」と、ご家族が持ってこられた画帳がありました。和紙を綴じた手作りぽい感じの画帳で、2、3冊あったと思います。

 

私もありがたく見せていただきました。墨と顔彩で描かれたあまりにも見事な花鳥画…。なにしろ原画ですから、伝わってくるものがすごいんですよ。まさしく「言葉を失う」という感じ。

 

「これ有名な画家の方なんですか?」と尋ねると「いや、その人は普通の大工さん(だったと思う)。絵は好きで描いてはったんやなあ…」「好きだけでこれだけですか…(絶句)

 

私は自分の「見る目」にはわりと自信を持っているほうです。いや、正確には「見る目」じゃなくて「感受性」だと思いますが。

 

だってさ、好きなもの、たとえば本でも手に取ると作者のみならず、編集した人や装丁した人や印刷した人やその他関わったすべての人の思いが瞬時に伝わることがありますよね?私はよくあるんですけど…。そういうパターンの直感的理解ですね。


生業とはまったく別の次元で、大切に大切に愛情を持って描かれた作品世界がそこにありました。一流画家の作品から受けるものよりも圧倒的な「何か」を私は受け取りました。その余韻はかなりあとまで心の中に響き続けていました。

 

…見えてくる風景。雨の日は大工さんは仕事がお休みなので、日頃からスケッチしていおいた下絵をもとに、一筆ずつ丁寧に線を描きおこしていかれます。愛おしむように色を塗り、鳥の瞳を描いて…。完成した瞬間の表情まで見えてきそうな気がします。いえ、全然知らない方なんですが… (^_^;)

 

もしかしたら画家になりたかったのかもしれませんよね。でもなんらかの事情で別の道を選んだ。そして別の道でも一流になっても、それでも忘れないで描かずにはいられなかった…。ものすごく私自身と共鳴するものがあります。

 

 


あの手作りの画帳に納められた名画たちは広く知られることもなく、ただ子孫だけに残されていくのだろうか?と思いました。

 

人知れず、野に咲く花が、誰にも見られることなく、咲いて散る…。そういう景色も浮かびました。野に咲く花だから派手ではないのですね。でも素朴で可憐。虫たちや小鳥が蜜をもとめてやってくる。しばらく前に見た写真のように、野生動物たちが花の香りにうっとりしたり、たまたま迷いこんだ旅人が一息、疲れを癒されたり…。

 

名もなく、ひそかに人知れず咲く「作品」という花。そういうものもあってもいいのかもしれない、と思いました。

 

花が枯れても地中に種は残ります。ひそかに、ひそやかに受け継がれる野花の命のように、そういう作品や絵画はたくさんあると思います。

 

世界中に知られる名画はごくごくわずかなものにすぎない…。でも「名もない花」はきっと無数に咲いている。そういう花々に出会いたいと思います。

 

そして私もそういう作品が残せたら本望だなあ、と思います。誰かの心の中で、いつかはるかな未来に咲く花の種となって…。

 

 

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