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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

イマジナリー・フレンドは私を鬱からも助けてくれる

(この文章の下書きは昨夜寝る前に書きました。だから気分はちょっとましでしたが、今は朝だからどーっと鬱のひどい最中です。ずっと軽躁でいられたら、どんなに幸せかと思う。母よりも弟よりもサイクルが短い私って、もしかしたらラピッドサイクラー?? (ーー;))

 


昨日、特養で母に会ってからの私はかなり強い抑鬱状態にありました。肩にかかる死神の手の重さをはっきり感じるほどの鬱。通常ですと、夜になるにつれて、気分はましになるのですが、昨夜は駄目でした。横になっても辛かったですね。

 

そういう時もたまにあります。鬱が強い時の私は「取りあえず、今描いている絵が完成するまでは死なないようにしよう」とか「今やっている仕事が無事に納品出来るまではちゃんと生きていよう」と思いながら切り抜けています。今はちょうど両方があって助かりました (^_^;)

 

…が、鬱の時は本当に「死なないために絵を描いているんだなあ」という実感がひしひしと迫ってきます。

 

ものすごい葛藤が内面であっても、私の場合は決してそれが作品に出ないのですね。思えば不思議です。

 

 

 

時々、webでも、まさしく精神疾患の治療中である患者さんたちが描いた絵」というのを見ることがあります。まあ、多分病名はいろいろでしょうし、好奇心で記事にされたようなものは、いかにも「病んでるなあ」というイメージで、一見ちょっと怖い感じさえすることもあります。

 

私は「怖い」という感じは受けないのですが、作者がどういうふうに痛みを感じているかとか、どういう混乱を抱えているか、などということは見ればわかります。最近はアウトサイダーアートとして、注目もされつつありますね。



www.weblio.jp

 

「美術教育を受けずに独学で制作を始めた人々の作品」という限りでは私もそうですが…。


そういう作品は、やはり知的障害精神疾患を抱えた人たちが、「描く」という行為によって、自分の中の混乱を具体化しようとしている過程のように見える作品も少なからずあるように思います。見えない混乱を見えるようにする、というのは意義深い行為だと思います。きっと改善の糸口も見つかるでしょうしね…。

 

 


ところで、私の場合はメンタル的にどんなに悩んでいても、苦しくても、それが絵に出ないのです。出ていないと思います。わかります…?私のことを知らない人が見れば、ごく普通の絵だと思われるんじゃないでしょうか。これって自分でも不思議でした。

 

究極の目的として、自分自身を癒すために描いているとしたら、この「絵を描く」という作業がまたしてもイマジナリー・フレンドと無関係ではなくなってくるからです。

 

もともと私は漫画を描いていました。キャラクターが存在するのが当たり前の世界ですね。写生とか、そういう「絵画」とは違うような気がします。まあ、「イラスト」という一枚絵になってからは世界観云々で、大差ない気もしますけど… (^_^;)

 

そもそも私は物語の世界でも漫画でもハッピーエンドが好きでした。ラストに辿り着くまでにいかなる困難があろうとも、必ず「読んで良かった」と満足出来るラストにならないと駄目だったのですね。私の中の基本ポジティブ指向とも共通しています。

 

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どうやらそのあたりのことが絵にも反映しているのではないかな?とふと思いました。混乱したままで、悩んだままで完成するのは気が済まない自分がいるんですね。描いていく過程で、同時に気持ちが落ち着き、整理され、なおかつ癒されていくんじゃないかと思います。きっとどう頑張ってもアウトサイダーアートにはならないのでしょう。

 

キャラクターたちの力を借りて、自分で自分を癒すことをしている感じです。おかげでいままで機会は数え切れないほどあったにも関わらず、自殺未遂やODなどの致命的な行動を実際にやらずに済んでいます。衝動が起きてもがっちりと引き止めてくれる安全装置があるみたいな…。それも何重にも (^_^;)

 

こうやって文字にする行為も落ち着きますが、絵を描くのはそれ以上に落ち着きますしね。私は「お写経効果」と呼んでいますが、あれがなければ、メンタルでもっと重症になっているか、さもなくば身体のどこかにガンが出来ていてもおかしくないかもしれないなあ、と思います。

 

どうして私がこういうものを持つようになったのか不思議ですが、思えば結構苛酷かも?というような人生に落ちてきた希望の流れ星のような気もします。

 

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巫女姿の少女は「違うよ。お仕事じゃなくて、これは私が好きでやってるの」と境内の掃除に精を出し、青年達は弓や剣の鍛練に余念がなく、園児くらいの姿のお使い白狐は自分を見て可愛がってくれる、ちょっと認知症のおばあちゃんのお家で唐揚げをご馳走になっています (^_^;)

 

私が彼らの存在にどれだけ救われているか、やっぱりそういうふうに考えても不思議はなくならず、でもただただありがたさと幸福感に満たされてくるのでした… (^_^;)

 

彼らがいなかったら…もう私はとっくに生きていないよね…。

 

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