早いものでまる一月
この団地に引っ越してきてから、今日で一月経ちました。どうかするともう10年くらいいるような気分になりますね。緊張感がないというか、それだけしっくり馴染んだというか…(^_^;)
いや、でも団地に住むのって子供の頃の憧れだったのよ。当時は高度成長期に入ったばかりだったし、もっと古い時代の同潤会アパートなどを追いかけていた関東の友人もいましたね。それで住んでみたら至極快適で嬉しいです(^_^;)
幅120×高さ180×奥行き29センチの本棚を組み立てて欲しいと便利屋さんに頼んだら、やはり二人がかりになるそうです。…だよねえ。一人で運べる幅じゃないしな。
この前は女性が一人で来られましたが、「女性お一人じゃ無理だと思います」と正直に言いました。
いくらかかるか二人分か、と心の中で計算中(ーー;)
明日午前中に来られるそうです。和室がもうちょっと片付けば、気分的にスッキリしそうな気がします。せっかくの空間がものに占領されてるから、それを片付けないと勿体無い気分がなくならなくて…。貧乏性ですね。
「それ本気じゃないから」と知らせてくれる人がいたなら…
昨日は時期的に自死にまつわるニュースが多くて、ちょっと辛い日でした。
誰かに話すことは出来なかったのかなあ?といつも思います。
私は成人には珍しく、イマジナリー・コンパニオンを持つ人間です。メカニズムは同じだという、サードマンのことを思い出しました。
サードマンについてはやはりYukiさんのブログがわかりやすく、詳しいです。書籍はもちろん面白いですけどね(^_^;)
遭難などの生命の危機の際に現れる「隣を共に歩く人」。彼らの励ましのおかげで見事生還に至る人。常からイマジナリー・コンパニオンと対話している私としては、そういう生命の危機に際して現れる彼らのことも容易に想像出来ます。
自分の中のワンダーランド
人間の脳は面白くて不思議で、希死念慮が自殺企図に至ろうとするタイミングで、私の場合はイマジナリー・コンパニオンがそれを止めてくれます。
どういう形であっても、そのタイミングでストップをかけられると瞬間的に冷静になります。サードマンも本人が「絶対に生きて帰る」という強い意志を持っている時に力を貸してくれる存在らしいです。
神?守護天使?守護霊?亡き家族?創造的なキャラクター?…まあ、なんでもいいですが。
「ちょっと待て」と止められた時に「死にたい」というのは本気なのか?もしくは病気の症状がそれを言わせているのか?そこで、我に返れるのはすごいことで、本心は「死にたいわけじゃない」と思い止まれるんですね。それも自分自身の力で。
なぜか「天は自らを助くるものを助く」という言葉を思い出しますが…。
私が精神疾患の患者さんにイマジナリー・コンパニオンがいればいいのに、と思うのはそういう理由です。自分自身がいつもどこかで冷静でいることが出来て、衝動に走らないですむから。なんというか、頓服よりも強力です。
イマジナリー・コンパニオンとわちゃわちゃしている内に、リアルなお知り合いや友人が止めてくれるという… (^_^;) なんだかすごいありがたい存在。
本音は死にたくない、というのを正しく導いてくれるから、ちゃんと生還になるわけですね。
脳が生み出した幻だろうが、私は彼らの強さと優しさをよく知ってるから (^_^)
私はイマジナリー・フレンドたちのおかげで、希死念慮にも日々の苦労にも負けずに生きてるけど、それで上手く精神のバランスを取っているとしたら、死ぬまで彼らと一緒だろうな。それはそれですごい幸せというか、取り上げられたら多分死ぬと思う。死ぬまで共にいさせてくださいね (^_^;)
自覚としては「解離」とも微妙に違うんです。自分が作ったわけじゃなくて、気が付いたらいるんです。4人ばかり。男女2人ずつで、子供から青年まで。
彼らの理性のおかげで無茶をやらずに済んでいます。ありがたいです。他にも故人になった家族たちもいるしね (^_^;)
多分半分は肉体を持って生きているけど、本当はこちらの住人だと思っていないかもしれません。でも課題があるから、ちゃんと卒業はしたいので…。肉体が存在する次元の生をプラスに働く彼らは味方です。でないと結構辛い現実があるからさ(-_-;)
ちなみにこのあいだ平等院に行った時は杏珠がはしゃいでました。引越し関連で忙しくてかまってあげなかったからかも。いまは仕方がないからまた大人しいですが。