ちょっと地震が心配
この下書きを書きながらしばしば意識が途絶えています。どうも疲労が溜まりつつありますね。寒さもあって、多忙もあって、昼寝が出来ないことも徐々にこたえてきています。
少しでも無理をするとたちまち反動が来るんだけど、でも今は少しでも無理して動かないと、安堵する場所まで届かないから、やっぱり頑張ってしまいます。
この家の名義変更をするともう私の家じゃなくなるし。ここにいてもいいよ、という、明け渡しの期限はしっかり12月20日に存在するし、種類提出の最終期限は11月29日だし。それよりも少しでも早く提出出来るように頑張らないと。
この頃、京都大阪に小さな地震が増えてきているので、やはり注意信号かもしれないなあ、とは思います。ただ、朱雀の場所の団地の地盤で耐えられるなら、液状化は不安ですが、震度6程度で済めばいいなあ、と願っています。規模は小さい方がいいです。
大阪の地震の影響で断層が動く可能性もなきにしもあらず、というのも読みましたしね。
彼曰く日本全国どこでも活断層が無い場所でも震度5弱クラスは起こりうる。しかし最近の地震は震源が少し怪しいとのこと。もし動いてほしくない活断層が大阪北部地震の影響で活動を始めたのなら…都市部と観光地が密集する京阪神が危ういと…
— 高木さんにハマったベリドックス (@beridox_tape) November 12, 2019
注意はしておいた方がいいかも、です。そもそも私の引っ越しの一因には地震というのもあるので…。地盤だの方位だのを気にしているのは100%迷信ではないんですよね。
日本はどこも仕方がないけど、天災がほとんどないところに住みたいとは思います。
そして。
お絵描きしたい お絵描きしたい お絵描きしたい お絵描きしたい お絵描きしたい お絵描きしたい お絵描きしたい お絵描きしたい!!
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) November 13, 2019
これを早く優先順位のトップに持ってきたい。いつまでかかるんだろう??(>_<)
お絵描きしたい お絵描きしたい お絵描きしたい
叫ぶとちょっとだけすっきりする??(^_^;)
苦しみから逃げないということ
昨日通りすがりに見つけたブログなんですが、昨日の自分の記事とリンクする内容でしたので、しっかりとリンク(^_^;)
シュタイナー関係かな?なんとなく納得できるな。と、いうか、私には今までずっと続けていた自然な行為でもあります。
すごくはっきり覚えているんですが、私は13歳の頃までは「死=暗闇」が本当に怖かったのですね。祖母が隣に寝ているのに、夜に「さあ寝よう」という瞬間の闇と静寂がそのまま死の世界を想起させて怖かったのです。
9歳の時に自宅で祖父の死に立ち会っているにも関わらずです。
幼児期に入院していた小児科病棟のあの子はどうしたかな?とか学校で怪我した子は大丈夫だったかな?と、不安でたまらなくて。
身体的には片頭痛はしばしば起きていて、腹痛もしばしばあって(4年後くらいに慢性盲腸だったと判明)不調がなかったわけではありませんが、そういう時におそらくキャラクターは生まれたんだと思っています。
私の中から、やはりイマジナリー・コンパニオンとしてですね。
で、彼らとともにわちゃわちゃしているうちに、そういう漠然とした死の恐怖が薄れていって、「毎日を後悔しないように生きる」という目標が確立していったのでした。まさしく中二病です(^_^;)
それでもって前向きに「苦しみから逃げない決意」というのも出来たと思います。悲劇のヒーローとかヒロインとか好きじゃなかったし。
年齢はあんまり関係ないかも
だから私は比較的早く、20代の頃には「人生の目的と意義」を自覚していたと思います。こういうものがどこから来るのかわかりませんが…。
おかげで比較的早い時期から自分軸を持って、他人の価値観に左右されない人生を送れるようになりました。まあ、結構生まれつきもあって、なんでも自分で考えてからでないと動かない子でもありましたが。
これは「他人と比較しない」というのがものすごく大きくて幸福度がかなり高いです。いつも基準は自分の中にあるので。
あらゆることは課題だし修行だよね。だからまあ、きつくても必要以上に落ち込まなくて、今では希死念慮が起きても、早ければ鬱の底からも数日で浮上出来たりしています。
手助けしてくれるのはイマジナリー・コンパニオンだったり、現実の友人知人だったり、物語だったりしますし、たいていの浮上のきっかけは「視野を変える、拡げる」ことですね。そのためにいろんな人の視点や視野をお借りしているわけです。
そのうちに自分の取説が出来てきたりして。パニックが起きそうな時はどうすればいいのか?とか具体的な対処法が見えてきます。基本的に転んでもただでは起きない、何かをしっかり掴んで立ち上がるようにしています。そうすると転ぶのもあんまり怖くないし。
「いまここ」をきちんと見つめて対処していると、それも遠からず過ぎ去ってしまうし、でもそこから自分で学んだことは生涯の財産として残ると思っています。
見つめて、冷静に観察分析して、具体的に役立つ対処法を考える、って大変だけど楽しい…(^_^;)
人生の「いまこの時」って本当にいましかないしね。きちんと味わう、体験する、というのも意義があるなあ、と思います。
ちょっと修行僧みたいだけど(^_^;)