まず楽しさありき
名言。
とあるクリエイターの名言なんですけど
— RGBこーぼー (@RGBkoubou) November 13, 2019
「クリエイターは、自分の作品への主観的な評価を「技術的に上手いか下手か」ではなく、
「自分で愛せるかどうか」にすると良い。」
という言葉がありまして、とても良い言葉だなぁと思いました。
そもそも愛せないようなものは描く気にならないよねー。まず「愛ありき」なんだし (^_^;)
さっき「死ぬほど勉強した」というのをお見かけしたけど具体的にどれくらいか想像つかなくて。私の脳はそこそこ楽しくないことは受け付けないしすぐに忘れる構造になっているのでまったく無理矢理は受け入れてくれない。勉強も楽しい範囲内でないと拒否されるので楽しさを感じないと駄目なのよ。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) November 13, 2019
これはですね、ある方が「いままで死ぬほど勉強して頑張ってきたけど、かなり疲れたのでちょっと休みたい」というような主旨のことをつぶやいてらして、うん、それがいいよね、くれぐれも無理しないで (^_^) と、思ったんですが…。
ふと我に返ると私はこの「死ぬほど勉強した」という実感がまったくわからないことに気付いたのでした。
死ぬほどなにかをやる、というのは「仮にそれで死んでも後悔しない」というほど頑張ることかなあ?とも思ったんですが、それに近いことを漫画を描いていた時は思ったことがあるけど、勉強していて、そういうふうに思った記憶がないなあ、と思いました。
正直すぎる脳みそ
どうも昔から私の脳は楽しいと感じてしまうことしか受け入れないのは確かです。
学生時代にはとりわけ数学系統が苦手でした。それでも数学でひどい点数を取ったことはないので、現役の学生時代には、それなりにどこかに楽しさを見つけていたのかもしれません。幾何とかはわりと好きだったかも。
残念ながら学生でなくなるとともに数学関係のことは綺麗さっぱり忘れましたが (ーー;)
もともとあんまり勉強する人間ではありませんでした。早く帰って漫画描きたいっていつも思ってたから。
でも授業中はすごく集中して聴いてました。10代の脳みそはするっと受け入れてくれたし。それでテスト前にまとめて復習して、それも1時間くらいしかやってないと思います。丸暗記は苦手です。(これはいまでもです)
エピソードなりの裏付けがないとしっかり記憶として焼き付きません。
本当に嫌いなことは続きません。成績からいうと、それなりに勉強してた?という感じでしたが、私自身はそれほど勉強した記憶がなく、ましてや「死ぬほど勉強した」記憶もないのでした (ーー;) 勉強で苦労したというのがないかもしれない。
脳の記憶のキャパシティが大きくないので、丸暗記は反対側からこぼれていく感じ。しっかり刻みつけた記憶でないと残らない(¯―¯٥)
真面目な学生ではありましたが、そんなに勉強はしませんでした。他にやりたいことがあったから。
だからいつも面談では母は担任に「おたくのお子さんはこのIQで(具体的な数値は知りません)この成績なんですか?」と言われてたようです。好きな科目に比べると好きじゃない科目は飛び抜けないから (^_^;) いやメリハリがあるほうがええやん、と思ってました。
親も一切「勉強しなさい」とも言いませんでしたし。私の性格をよくわかってたんじゃないかと思います。
母も優等生で成績も素行もよくて模範的な生徒だと教師の覚えめでたき人だったですが、やはり経済的な事情で大学進学を諦めています。父も似たような感じかな。父は肺結核やってますしね。
読書も楽しいから
いまでも私は基本的にいつでもなにかを考えてはいますが、学問みたいに体系的に考えているわけではなくて、全然別のジャンルのものが突然にイコールになるような結びつきを見つけるとすごい嬉しいです (^_^;)
数字やお金が苦手だと経理の仕事とかは絶対に無理ですね。まず楽しくないし。
だから死ぬほど勉強なんか出来ないから、すごいなあ、と思うと同時に適度に手抜きして休むのもすごく大事だと思ってしまいます。
長い人生、2年や3年くらい休みがあってもええやん。←これは高校生の私が療養のために長い休みに入った時に友人からもらった言葉ですが、なるほどね、とあっさり納得してあまり罪悪感はもちませんでした。
でも洋裁習うとか医療事務勉強するとか、いろいろやってはいたけれど。
読書するのも楽しいから。で、相変わらず本の置き場所に悩んでいる次第です。余暇ばかりオタクらしく充実させてきた気がする、と段ボールの山を見て思っています。でもこれが幸せなんだよね、困ったもんだよね (^_^;)
母の間接的メッセージ (^_^;)
これを書いている途中に母の高校時代の友人だという方から電話がありました。私もお名前は知っているのですが、母が亡くなった連絡しなかったというのは住所がわからなかったんだな、きっと。
いや、数年前から年賀状が返って来なくて、もしかしたら亡くなられた?と考えていたのを思い出しました。母もそれは気にしていたと思います。
その方が突然の電話で「お母さんにはいろいろ勉強も教えてもらって、優しい人でね、数学とかも得意でね、教えてもらいました」と。なるほど、これが言いたかったんだな、母は (^_^;) 孫に数学を教えてたくらいだしなあ…。私は国語、社会、理科担当で母が数学担当だったよね。そうでした。
なんかあまりのタイミングに驚くけど嬉しい (^_^) あはは (^_^) これ絶対にラブレターの話から続いてる(^_^;)
その方Oさんは母が元気なころに連絡を取ろうとしていてとれなかった方なんですよね。電話帳の整理をしていて母のことを思い出されたそうです。まあ、ちょっと話が何度かぐるぐるしてたけど、お元気そうな声でよかったね、と写真に話しました。Oさんに電話をかけさせたのは母だと思う。
母もね、私だったら、こういうのがちゃんとわかると思っているからサインを送ってくるんですよね。わかるよ、さすがに双子な母娘だけあるし (^_^;)
こういうのは読解力と同じだと思います。自分の経験に則してなにをどこまで読み取れるか?ですね。読解力と感受性次第なので、正解はありません。極めて個人的なことなので。受け止め方がみんな違うのは当たり前なんだよね。だから他人から観た正解はあまりないんですよ。本当に鋭い人は気付いてくださいますが(^_^;)
私の性格は結構母譲りで、負けず嫌い。私が苦手な数学はフォローする、くらいは母が言いそうだもんね(^_^;)
「数学が得意」も3回くらい言ってらしたよ。わかりましたってば (^_^;) ちゃんと褒めてるやん (^_^;) 母の間接的メッセージはOさんのお元気な声で届きました。ありがとう (^_^)
これで405の真実が当たったりしたらもっと楽しいねえ (^_^;)
応援で元気百倍だよ(^_^;)
で、今日は司法書士さんにお会いして、スピードアップのお願いと交渉をしてきたいと思います。