スピードアップしてください(;´Д`)
いろいろと住宅供給公社から電話がきます。手続き上、早く処理しないと間にあわなくなる可能性があるので、「すみません」と言われつつ急がされている感もあるわけですが… (^_^;)
不動産屋さんと相談して、なるべく早く物事が進展するようにお願いしました。15日に司法書士さんともお会いするので、急いでくださいね、というのと、必要種類の準備とでなりゆきによっては私も何度か公社まで走る覚悟です。
みなさん「すみません」と言いながら、期限はしっかりだからどうしようもないです。そういう仕事なんだな。
期限といえば引越し屋さんからもいろいろ電話がくる。うちがお願いしているのとは違うところだけど「そろそろひと月ですが」と言われるとまた焦る。すでにお願いしている引越し屋さんも早く日を確定しないと困るよね〜(>_<) 公営住宅ってそういうバタバタなんですね。内覧もないしさ。
弟も少しずつ荷物の整理をしているけど、私の部屋の段ボールを見て「これ絶対におさまらんわ」と言いますし、実は私もそう思います (ーー;)
でも泣いても笑っても一月後くらいには移動してそうな気がします。
いつまでも我が家の中心
まだ引越しがすまないと新たな居場所がないんだけど、これが新しいうちのミニミニ祭壇です。無宗教だしね。もともと日蓮宗には位牌がなくて過去帳だけなので、コンパクトといえばコンパクト。
Macのモニタの前で撮っています。
骨壷は一番小さなサイズで、のど仏と言われている、首の骨の一部が入っています。小さくて全部は無理なので、半分ずつ向かい合わせに座る感じで (^_^;)
ラックを買って一番上に置いてあげようと思います。今日はミニテーブルの上で柿をお供えしてました。結局は自分が食べるんですが (^_^;)
やっぱり写真があると写真に向かって話しかけてしまうな。えらいものですね (^_^;) これ、引っ越しの本番前の時に持っていった方が安全だよね。
実は杏珠の移動用のバッグも準備してあります。あの子もどのタイミングで移動させるかな??もちろん自分で連れていきますよ。家族だもん (^_^;)
両親のラブレター
10cm程度の小箱です。テープで封されていますが、中には両親の独身時代の恋文が入っています。私のルーツですね (^_^;)
父の介護中に母が時々読んでいました。そうして介護という試練を乗りきったのだと思います。
母が「私が死んだら読んでもええよ」と言って亡くなって1年半近くになります。
どうしても死にたくなったら読もうとずっとそのまま封印してきました。母の棺に入れようかどうしようか?と悩んだこともありました。結局手元に残しましたが、私が死んだらさっきの骨片と一緒に、ついでに杏珠も一緒に持っていくのね (^_^;)
辛いことは一杯あったけど、この箱の中身を思うだけでやはり乗り越えてこれました。読めない手紙にも力があるというか、それがやりとりされた結果として自分の存在を思うと生命は重いです。読む読まないというよりも「これがある」という事実がとても大事 (^_^)
眼には見えないけど、そこには確実に愛が存在するからです。それゆえに私は生まれ育って今ここに存在するわけです。自分が愛情の具現だと思うとすごいな(本当は世界中のすべての子供にそうあって欲しい)
両親の分まで大事に生きようと思います。これって強力な薬だよね (^_^;)
尽くす、ということ
「あちらで逢おうね」と約束した人や動物はいっぱいいるし。
どうせなら喜怒哀楽やいろんな気分もとことん味わい尽くして逝きたいです (^_^;) どういう気分も感情も永遠には続かないし、存分に感じたり味わったりすると、どこかでぱーっと抜ける時が来るし。その時に解放すればわだかまりは残らないですね。
未消化というか、不完全燃焼になっちゃうといつまでも燻るから。どうも私は基本的に人が好きなようです (^_^;) 赦すのも結構早いかも。怒る時に怒った方がスッキリするよね。で、すーっと引いちゃう。そういう感じで。あとを引かない気はします。
怒れなかった学校時代のことはいまだに昇華されてないもん。
夏場に不動産屋に対して怒ってたけどそれもいまはさっぱりした。怒りたいだけ怒ったからだと思う。吐き出してしまうからすっきりして、いまは素直に協力要請もしています。
怒るだけじゃなくて、すべての感情で味わうことって大事だなあ、と思います。きちんと哀しみ、きちんと歓び、きちんと楽しむ。
私が羽生さんのプログラムに感動するのも、一度として同じ花ではないからです。これは能の世界では言われてますね。「時分の花」と「まことの花」。どうもそれを感じて仕方がないんですよね。こういう見方をしているのは私だけかもしれませんが。
一期一会もおおいにあるかなあ、と。
今日の思いは今日しかないから、それをちゃんと受け止めようと思って。それが私の性格には合っているらしいです。
まあ、表現するのが好きだからお絵描きしてるんだしね (^_^;)
「白銀の墟 玄の月」
「白銀の墟 玄の月」はいままでのような派手さはなくても「大人の物語になった」感はある。群像劇みたいだし、苦労が続くけど、それが大人の世界の鏡であるようにも思える。
「月の影 影の海」に始まったシリーズは当初はその体裁のとおり(私が初めて読んだのは阪神大震災の年でした)ライトノベルの印象だったけど、今はもう、いろいろな年代や立場のキャラも増えて、「大人のファンタジー」になった印象もある。
大人は知っている。今日別れた人と再び無事に再開出来る確約なんてないことを。手を汚さずに掴める夢もなければ道のりも過酷。
辛さを全部呑み込んで泰麒は大人になったね。自分の現実を反映してしっかり受け止めてしまった (^_^;)
綾辻さんですら先日読まれたみたいですから。きっと現実の苦労も多かったろうな、とほぼ同世代の感慨があります… (^_^;)
十二国記『白銀の墟 玄の月』を4巻まで通読。『魔性の子』からの長い道のりを、こういう形でよくぞ書ききったなあ――と、今さらながら非常に感慨深く。
— 綾辻行人 (@ayatsujiyukito) November 4, 2019
たくさんの読者が待っていてくれて良かったね、主上。←このように僕が「主上」と呼ぶのは基本、大変に嫌がられます(笑)。
自分自身のこの18年とだぶらせて、非常に感慨深いものがありました。
私の場合、いろんな世界って同じ場所に存在する違うレイヤーなんだなあ、やっぱり。結構たやすく癒されます (^_^;)