お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

永遠じゃないから善きことを選びたい

 

 

夜中に足がかゆいとか思っていると朝見たら汗疱らしきものがどっと増えている。皮膚科の診察は22日。「早めに受診しますか?」と看護師さんに言われても、予約がない日にえんえん待つのが辛いから予約日を待ちます、と言ってます。大病院はこれも地味に辛いなあ。なんか眼もあてられないひどい両下肢(-_-;)

どこかで終わりにしたいこと

「彼らがやがて育ったら、敵だということで報復してくる」
「だから子供も殺害する」というのは納得出来ないものがある。

報復に報復ではいつまで経ってもその不幸な連鎖は解消されない。

愛を持って育てて、報復など出来ないように育てるという道はないのかな?
これからも切実に祈ること。

 

 

嫁と姑の相克

私は基本的にもめ事が嫌いなので、家庭内でも喧嘩がなるべく起きないように心を配っていました。
まあ、亡き両親は喧嘩をしない人たちで、夫婦喧嘩も見たことがありませんでした。死ぬまで仲がよかったです。

まあ、母はたまに主婦の立場で祖母と喧嘩をしていましたが、父は常に母の味方をしていました。

祖母も晩年、身体が不自由になってから、まだ介護保険もない時代に献身的に祖母の世話をしていました。縁側に洗髪用の道具を用意して「おばあちゃん、ここまで這ってこれる?シャンプーしようか」と。
庭だから水がこぼれても平気だから。私が見たのは仕事帰りでそういう光景でした。

私が仕事に行っているあいだにいろいろあったと思います。やがて祖母はすっかり母に感謝して「あんたのことを誰かに言っとかんと気が済まん。○○ちゃん(祖母の姪の名前)呼んでくれへんか。

よほど嬉しかったと見えます。伯父は戦死しているし、祖母にとっては一人息子も同然の父のお嫁さんですから、よくしてもらったというので心から嬉しかったようです。
「そんなん、おばあちゃんだけが知っててくれたらえんやで」と母が言ってましたが(^^;) 

根負けして○○さんが来られることになりました。が、祖母は喜び過ぎて血圧が上がってやがて幻覚を見るようになりました。深夜に仏壇の線香とロウソクに火をつけるから危なくて仕方がありません。

祖母は降圧剤にもアレルギーが合って、薬が飲めなかったのです.思えば可愛そうですが、祖母のアレルギー体質や皮膚の弱さは私も受け継いでいます(-_-;)

火を扱うと本気で火事が心配になります。祖母は当時の高齢者施設というか、老人病院に入院することになりました。入院後に血圧が落ち着いたら祖母の幻覚も消えたようです。

病院まで母の足だと30分くらいかかりましたが、母は歩いて一日置きくらいにお見舞いに行っていました。ちょうど更年期障害の症状に悩まされていた時でしたが、「待ったはるし」と通っていました。日曜には父の運転でみんなで病院に行って、帰りにスーパーで食料品の買い出しが常になっていました。(いま調べたら病院が移転してた。母のいた特養に近い場所だった。よく行き帰りに通ってた道)

そういうのが3年続きました。ある夜に病院から連絡があって、みんなで駆けつけると、祖母はもわずかな呼吸をしているだけでした。30分もしないうちに祖母は静かに息を引き取りました。本当に静かな臨終でした。祖母も最後まで自分を生きたと思います。

事務的な手続きをしている両親より先に、弟が運転する車で二人で先に帰って来ました。とりあず真っ先に魂だけでも連れて帰ってあげたかったから。

いまならば母に「もっと自分を大事にしたほうがいい」と言ったかもしれません。まあ、でもあれでよかったのかな?やがて弟が結婚して孫が生まれて、人数が増えていくのは喜ばしいことでした。
私は現在減っていくほうを体験してますが、だからあんまり長生きは嬉しくないです。

まあ、家庭内のことだけでも本当に諸行無常ですよね…。

 

 

AI による概要

諸行無常(しょぎょうむじょう)」とは、この世のすべてのものは常に移り変わり、決して同じ状態にとどまらない、という仏教の根本的な教えです。 

意味
• 諸行(しょぎょう): この世のあらゆるもの、現象、存在。
• 無常(むじょう): 永久不変ではなく、常に変化すること。 

諸行無常の考え方

平家物語の冒頭文: 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」は、この考えを最もよく表しています。

• 変化の受け入れ: この世のものはすべて、成功や失敗、喜びや苦しみ、そして命そのものさえも、時間の流れとともに絶えず変化します。この変化の事実を受け入れることで、変化を拒み現状維持に固執する苦しみから解放され、心の安定につながると説かれています。

• 今を大切にする: 将来への不安や過去への執着に目を向けるのではなく、刻々と変化する「今」という時間を大切に生きることの重要性を説く、前向きな教えでもあります。 

現代における解釈

現代では、この言葉は次のような場面で使われます。
• 人生の教訓: 人生の喜びや悲しみは永遠に続くものではない、という達観した気持ちを表現するとき。

• 社会の変化: 時代の流れや社会の移り変わり、価値観の変化など、自分ではどうしようもない変化について語るとき。

• 自然の変化: 四季の移り変わりや、自然現象の様子を目の当たりにしたとき。

 

 

なんかこの背景がユニーク。和風にも中国風にも洋風にも見える(^^;) 

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あれ?いま気がついたらnoteの方が Mark Zuckerbergさんにフォローされてる??

ご本人だろうか?フェイク? どっちにしても面白いからしばらく見守っていますね(^^;) あ、そうか。昨日の採蓮図かもしれない。いま調べたら奥様がベトナム出身の方らしいし。なるほど。私に妙なヘイトが存在しないからかもね(^^;) 

 

 

#繰り返したくない   #介護   #薬剤アレルギー   #人生諸行無常

 

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