読書体験についてのメモが8000字近くなってもまだ終わらないので急遽別テーマで。読書関係のメモがまとまれば鼻炎の状況も改善してMac miniのセットアップが可能になるいくらいに頭に余裕が出来るといいな(^^;) キャパシティがあんまりない脳味噌なので(^^;)
30年経っても避難所の状況が全くと言えるほど改善していないのって日本くらいのものではないの?おまけに避難所でも少数のレイプは仕方がないとか言われたり、とどめの政府の対応なしの現状でよく恥ずかしくないよな、人として、と思う。末世感がとても強い(-_-;)
— はるうさぎ/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2025年1月17日
『満員電車で杖をついて、ラッシュ時の駅地下街では歩くのが遅く、エスカレーターでは右側に立ち止まる奴。本当に邪魔だよな。「社会」に迷惑かけながら生きてることを自覚しろよ』
— 木村知 『大往生の作法(角川新書)』 (@kimuratomo) 2025年1月17日
と言わんばかりに、体当たり、舌打ち、「どけ」との捨て台詞。
恥ずかしながら今、日本の劣化を初めて実体験している。
ボランティア精神や文化が生まれる土壌って、なんだろうか?
— まっすぅ@精神科医、町医者、YouTuber (@wasedamental) 2025年1月17日
(精神科医も人間だから迷っておられるあいだに患者のほうが先にわかってしまうこともあえるでしょうね。脳と精神と霊性の複雑な関係)
利他の精神で行動することが自分の喜びにつながると気付いた人が増えたんでしょうか。自分だけの幸福を求めても長続きしないと気付きの行動かも。ペイフォワードとか。「お互いさま」があたりまえになると幸せを感じる人が増えると思います。
日本人が劣化したと思われるのは精神性の価値の目減りが著しいのではないのかなあ?生産性ばかりに気を取られてるからだよ。あとなんでも自己責任にする無責任さ(-_-;)
人間の価値を生産性で計ることの馬鹿馬鹿しさがよくわかります。弱者を排除しても結局それは自分の幸福感には繋がらないです。物質的なものにしか眼が向いていないことだから。自分の心に訊いてみればいいですよ。「死ぬ時にこれを持って行けるか?」と。お金を持って行けません。集めた趣味の品々も、ブランドもののあれこれも。持っていけるのはその「人生で自分が学んだ真髄と愛し愛された心だけだと聴いたことがあります。これは無形の財産ですものね。
おたがいさまの行動は日常の中で普通に取れる行動です。見知らぬ人が困っていたら手を差し伸べて自分が出来ることを問うてみる、そしてやってみる。相手が安堵されるようになったらそれで充分なんですね。お金も必要ありませんし。
ただ大きな災害などのときに、寄付がもっとも有効なことは少なくないです。残念なことに素人が行けば邪魔にしかならないことがあります。だからこそ政府の仕事があるんだよ!(役立たずな政府💢 自分たちの行動を客観視出来ず、適切な行動が出来ないなら資格がないし💢)
どうもね、自分の意識の反映みたいにまわりの人に影響ってあるみたいです。同じような人が集まってくるみたいですね。そして居心地のいい空間になる。人間も動物だからいい心地のいい場所がいいに決まっています。
私の亡き母も自分のまわりの人に親切にするのは、「いつかあんたたちが困った時に知らない誰かに助けてもらえたら嬉しいからや」と言ってました。完全に恩送りの精神を言ってますね(^^;) 私もそれを継いでいます。ただ私はこういう発信の手段があるから、少しでも書いておけると思いました。自由に動ける体力がない私に出来ることってそれだけですし。でもそれだけでも出来ることがあると嬉しいです(^^)
両親の介護と自分の病気を経て気付いたこと「知識は家族を守る武器になる」とりわけ申請主義の日本の福祉制度を知るためには学ばないとダメだと思いました。うつの時は本当に集中力が激しくダウンして活字が上滑りして読めないことも多いのですが、かなり必要に迫られました(^^;)
前にも載せましたけど、再度。
あとから講義を受けてみたかったなあ、と思うこともあります。
精神医学の専門書を送ってくださったのは精神科医ではない医師の友人.ご縁って面白いです(^^;)
うつからぬけるにつれて漫画ーエッセイや短編集ー長編小説ー専門書 の順に読めるようになります。
でも昔よりもペースダウンは著しいです。
Grokさんが面白いことをやっている。プロフィールの要約みたいな感じ?毎回ちがうのが出るから面白いです(^^)
着物的な表現はかなりまともに。水干とか直垂に行き着くのはいつのことかな?