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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

ハッピーエンド志向の人生

 

新興宗教とカルトの不幸

 

新中学生の男の子が某新興宗教のパンフを持ってきた。たどたどしい説明で後ろに大人の男性。宗教二世かわかりませんが、布教に子供を使うのはやめて欲しい。なんか痛ましくてたまらんのよ、私(;_;)

 

 

気が付いてた。私、最初から言ってたと思うけど、本当に教義の通りなんですよ(-_-;) 教会に対してなにかやるとか言ってるけど、それが統一地方選のあとというのが本当に見え見えですね(-_-;)

 

 

 

こういうことにも子供は巻き込まれて欲しくないけど、否応なしに宗教二世の問題はあちこちに存在してるでしょう?

 

 



 

形式にこだわらなくなってきた

 

そういえばこの間の伯父のお葬式、お葬式自体が久しぶりだったので、清めのお塩を使うの忘れてました。着替えて荷ほどきしてたら出てきた。

 

まあ、いいか。おっちゃん、もうあっちでみんなとめでたく再会できたよね。めでたいわ、と勝手にハッピーエンドにしてました(^_^;)

 

実は昨日も両親の共同墓地の大祭でしたが本降りでは無理かもと思ってました。後日に一人でもゆっくり行くわね。納骨堂は地下じゃないからいいな、と思ってます。自分が遺骨になっても地下は嫌だな、と思うし。子供が遊ぶ環境はサイコーだよね(^^)

 

参拝の時の手軽なお清めに使えそう(^^)なぜか神職さんに教えていただきました。

 

いつまでも覚えられない祓え詞のメモも作りました。神棚用と持ち歩きようです。これで覚えられたら般若心経のメモも作るかも(^^;)

 

 

 

ブログにはわざわざ「むかしばなし」というカテゴリがあるんですよ〜(^^)

 

 



 

秋からアニメ「め組の大吾ー救国のオレンジー

 

 

 

 

 

子供のころから運動神経抜群だったけど、それだけ動けるのは羨しい限り。私の理想かもしれないです。

 

でも甥っ子のようにはなれないから、私は私の出来ることをやるまでね(^^;)

 

どうせ死ぬのなら自分のためじゃなくて、あの子らとひとりでも多くの人を助けてから死にたいわ。だって勿体ないもん。でもその現場までは行けないから、そこは真剣に悔しいです。でも多くの人を助けたい願いはずっと消えずにある。

 

 



 

ハッピーエンド志向

 

いろいろと思い出していたんですが、私は幼稚園ごろにはもうハッピーエンドのお話が好きでした。だって読後感がいいでしょう?それに自分も元気をもらえるでしょう?そういう利点を子供の頃から気付いてたんじゃないかと思います。生まれつき暗くなるのは嫌いだったのかもしれません。

 

小学生当時から物語のようなものは書いていましたが、やはり主人公が不幸になる話は嫌いでハッピーエンドを目指してました。

 

中学生のころに歴史物にはまって、史実もいろいろ知っていくんですが、まあ一般的に不幸になる悲劇のヒーローとか好きでも、なんとか悲劇の人生をハッピーエンドに持っていきたいと願っていました。

 

どうすれば後悔しない人生を送れるか?それは行く道を自分で選択することでそうなるんじゃないかということで。その時に私の原型も一緒に生まれた感があります(^^;)

 

自分がどう感じるかで違ってくるんだな、という発見(?)はとても大きくて、現在に至るまで、ハッピーエンドが好きな私自身の人生の基盤になっています。

 

原点は中学生のころにあったのねー。悲劇のヒーローを悲劇に終わらせない工夫。それが今の私の日々にも生きています。自分を可哀想とか思ったことないもんね(^^;) ここすごく大事(^^)

 

自分の人生もいかにしてハッピーな終末に持っていくか、工夫を凝らしています。これはこれで楽しい人生だと思います(^^)

 

4歳の私も小学生の私も、中学生の私も今の私の中ではしっかり生きていて、なんか上手く歳を取ったなあ、と実感できたことが今とても幸せです(^^)

 

なんにもないけど、想像力だけは私の武器だと思っています(^^)

 

 

 

eigomeigen.com

 

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想像力というのは私にちってはきわめてナチュラルなものなので、普通に駆使していて、それがない状況というのがそれこそ想像出来ないんですけど……(^^;)

 

 

 

 

今日は朝からメンクリです。

 

 

 

 

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