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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

母の憑依について再考

 

本に触発されてしまった

 

加門七海さんの日常を漫画で描いたこういう本を読みました。「あちらの世界となんとな~く共存中」というのがいいですね(^^;) 私も似たようなものかもしれませんが(^^;)

 

加門さんは同人誌を発行されていたころから知っているので、もう何十年の読者になります。でもこの本のエピソードはわりと普通、と感じる私が普通じゃないんだろうか??見えるか見えないかの違いこそありますが……。

 

 

 

 

この本に触発されて、自分なりのエピソードを書こうかと思いました。過去にも書いたと思いますが、当時はわからなかったことも新たに判明したことも加えて書き直そうと思います。

 

オカルト的な話が苦手な方はごめんなさい。私は最も怖いのは生きている人間だと思っているので、こういう怖さの基準がよくわからないのです。ましてや家族のことは怖くありませんし(^^;)

 

今はもう彼岸の住人となってしまった母の話です。いまだからわかること。

 

 

 

 

ふたりでひとりを体験していた時

 

 

憑依ひょうい)spirit possession

人の生霊・死,動物霊などが人間の体内に入ることによって,その人が精神的,肉体的に影響を受ける現象をいう。その底には,霊は肉体から自由に出入りできるとする信仰がある。また人に乗移った霊を憑物 (つきもの) という。このような憑霊信仰は,シャーマン霊媒のような統制的なものと,憑かれた霊によって人が病気や異常な精神状態を起すような非統制的なものに分れる。前者が正常な望ましい憑霊であるのに対して,後者は概して異常な病的現象とされ,治療されるべき対象となる。また憑霊には,一時的に他の霊が乗移るという「憑き」の現象と,遺伝的,伝染的に家系に伝わるという「持ち」の現象とがある。

 

 

 

 

なんてたって柑橘類

 

私の母は2018年の5月に亡くなりました。葬儀場で久々に親戚に会って、「お母ちゃんに似てきたなあ」と伯父達にいわれたあたりから始まっていたらしいです。

 

葬儀が終わって帰宅後、小さな祭壇をしつらえてしばしばそこから母に話したりしていました。が、無性に柑橘類が食べたい。私はそんなに柑橘類ばかり食べません。最も好きなフルーツは葡萄です。

 

でもとにかく夏柑橘が食べたい。これは母の願望ではないかと思いました。冬ミカンを始めとして柑橘類が好きな人でしたしね。最後の1年半くらいかな?本人の希望もあって、嚥下障害による誤嚥性肺炎の危険を避けて胃ろうからの食事摂取になっていました。

 

本人が納得出来る心の準備をするための期間に必要とする栄養補給の手段であって、決して延命目的ではありません。意識のない認知症の患者さんを無駄に長生きさせることとはまったく違うのよね。

 

だから好きな果物を口から思い切り食べたいんだなあ、と悟りました。肉親の憑依は水に水が溶けるごとくに違和感がないと聞いたことがありました。うん、これもう確実に母が私に憑依していると思いました。顔まで似ているといわれたのはそのせいじゃないかと思います。もともと魂の双子と言われたくらいなので、まったく違和感がありませんでした。

 

ここで私も座り直して言いました。「いいよ、私のかわりでよかったら、好きなだけ食べて(^^)」と。で、せっせと柑橘類を買ってきて、供えて母の写真の前で話をしながら一緒に食べていました。伊予柑、甘夏、はっさくなどなど。生前とほとんど変わりがない気がします。ある意味、私にとっても至福の時間でした。

 

あまり長くこの世にいると、あの世に行くことを忘れてしまうというのも知っていましたが、母も霊的な知識は持っていましたし、毎日、私が役所で手続きや、特養で片づけや挨拶や、もろもろやっているのを一緒に体験しているはずでしたから、死の自覚はあるだろうし、その点はまったく心配していませんでした。

 

気が済むまで食べて、この世の友人と会ってくればいいと願っていました。母の気配はずっと私の間近か私の中にありました。2人羽織みたいな感覚(^_^;)

 

 

 

 

きちんと決められたとおりに

 

そういう毎日が続いて、ある日、ふと気が付くと母の気配が遠くなっていました。我が家はすでに仏教でも神道でもありませんでしたが、気が付いてカレンダーで数えてみるとちょうど49日。神道なら50日、ちょうどその期間を迎えていたのですね。

 

すごい、特にお坊さんにお願いしなくてもそういう決まりは生きてたんだ、と私は驚きました。そして身近に感じなくなった気配を惜しんで「あーあ、いっちゃったんだなあ……」と思うと少し寂しくなりました。

 

それでも私の喪失のグリーフがひどく重くならなかったのは、母の生前にやることはちゃんと出来たから。そして最後まで母が一緒にいてくれたから、私のグリーフケアもされていたんだと思います。だから私はいまでもちゃんと自分の足で立つことが出来ています。完璧に喪失したわけではないしね(^^;)

 

その次に会いに来てくれたのが2021年の秋でしたが、神仏絡みなのがいかにも母らしいと思います(^^;)

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

 

この母の憑依体験はいまでも私のかけがえのない体験になっています。愛を持って守られることは本当にありがたいことです(^^)

 

 

 

 

世界の中のひとりとして

 

家族して共有出来る霊的な知識があることの大切さ、そして生まれる前から死後もずっと続く道のりを思うと、人は肉体がある間の経験も粗末にできないと思います。特定の宗教は必要ないですが、嫌になったから楽に死のうとか、そういうものではないのよね。

 

子供への愛情ときちんと育てる義務は親としての課題だと思います。自分の子どもじゃないけど、甥や姪が生まれた時に「ああ、この子たちは天からの預かりものだ」と察知しました。だからとっくに成人して家庭を持った今で大切です。だから彼らに少しでもましな世界を残したいのよね。

 

次の世代を残したいと思えない世の中なんか、もうとっくに絶望的だけどまだ改善の余地はあるかと思いますし…。天の意識はどうしても個人の生活にも反映してしまいますが…(^_^;)

 

 

 

 

私も参加させてもらった研究ですね。どうも本能的に遺伝子的なものがあると気付いていたから自分は子供を持たなかったけど、それでも姪とかが言ってたりするもんね。

 

 

個人的にはあと10年と想定しています。だからこそ世界に働きかけたい思いが強くなってるんじゃないかとも思う。

 

私は病名を診断されてからメンタル強くなった珍しい人間なので(^_^;)

守るものがたくさんあったし「できること」がポロポロ零れ落ちていくのも諦めるしかなかったし、いちいち嘆いていたら自分が惨めになるので、悲劇のヒロインにはなりたくないと思ったら、守るために闘ってた(^_^;) プライドかもね(^^)

 

 

 

 

 

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