また睡眠の様子が変わった??
昨夜8時間ぶっ続けで寝て、明け方にプラス45分寝たんですが、全然頭が晴れません。唐突に鬱に突入したとか??あまりに急速交代するとついていけません。今日はサボってお弁当買います。
嫌なことがますます嫌になる。とりわけ料理とかね。
新しい保険証、一昨日に届いてるけど、これでええやんね。何を不都合で作り直す必要があるのかもまったく意味不明なんですけど。費用と資源の無駄遣いはやめてください(-_-;)
ホンマやで(ーー;)
その人その仕事に向いてないと思うわ
どうも「マスク外せ運動」の方は目的のはき違えをしているように思えます。目的はあくまで「日常生活」なのであり、マスクは「代替エンドポイント」にすぎません。にもかかわらず、ともすれば「日常生活を崩壊させてでもマスクを外せ」という方もいらっしゃる。 https://t.co/SSeOYt0i9X
— \\りょーた// (@ryoinalf) 2022年11月7日
これまでのインフルエンザシーズンでもそうであったようにマスクやワクチンで感染及び重症化をできるだけ防ぐことで「学級閉鎖」「家族がインフルエンザなので飲み会に参加できない」を防ぎましょうよ、とやってきましたよね?
— \\りょーた// (@ryoinalf) 2022年11月7日
「とにかく自分はマスクをしたくないんだ、コロナなんてただの風邪なんだから」は「あなたの」エンドポイントとして全く構わないんですけど「じゃあ違うエンドポイントの人の邪魔はしないでくださいね」と言うだけです。感染予防はすべてこれ。
— \\りょーた// (@ryoinalf) 2022年11月7日
そこを勘違いしてるから医療施設での実習に際してワクチンを拒否したら単位が保証されない、という、「当たり前のこと」に憤慨しなければならなくなるのです。患者さんは病気になりたくて医療機関に来るわけじゃないんですよね。
— \\りょーた// (@ryoinalf) 2022年11月7日
インフルエンザによる高熱だろうが押して出勤する、それを美しいと思うのは勝手なのですがその企業の商業活動を「少数の人間の美意識」で左右していいのか、という話です。
— \\りょーた// (@ryoinalf) 2022年11月7日
私は長年在宅介護をやっていたので、絶対に家の中にインフルエンザを持ち込まない覚悟で細心の注意をしてきました。インフルは防御を20年続けています。続きにコロナも。具合悪そうな人はもう大人しく家で安静にしてろよ、と心の中で怒ってました。大迷惑💢
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年11月7日
これ、いつも不思議なんですけど、医療関係で働きたいのに、実習の前にいろんなワクチンを打つのが嫌だという人がいます。自分で経過観察出来るのにどうして嫌なのかがよくわかりません。で、結局向いてないからやめとけになるんですけど、まあ、やめた方がいいと思うな。
コロナワクチン接種が嫌で辞めた看護師さんもいらしたらしいですし、そこは各々の判断ですけどね。
これはかわいいエピソード(*^^)
「ぬいぐるみはね、ぎゅっとしたあと夜一緒に寝たいなと思った子が仲良くなれるよ」と、妹に《ぬいぐるみの上手な選び方》を教えてあげてたお兄ちゃん。
— 三鷹の森ジブリ美術館 (@GhibliML) 2022年11月6日
真剣に選んでいた妹さん、「小さいトトロ」をぎゅっと抱きしめてレジに向かっていきました。 pic.twitter.com/ETjGFVcrRP
私はいくら好きでも人形やぬいぐるみを抱き締めて寝たことはないけど、本を抱き締めて寝たことはあります(^^)
今なら本当に体温のあるもふもふを抱き締めて寝たい(^^)
劣等感にさいなまれて苦しい。上手な付き合い方を教えて https://t.co/1baAaiZMnJ
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年11月7日
劣等感生まれないです。私の脳は忙しいらしい。で、死んだように眠るし、誰とも比較しませんし。
私の命の尊厳のライン
父も母もQOLのために胃ろうを使っていましたが、2人とも延命治療そのものはしていません。
父はICUから直帰して、半月頑張って自宅で亡くなりましたが、最後は肺に水が溜まっていたために、酸素吸入だけはしていました。訪問看護師さんや往診の先生には何度も来ていただきましたが。様子を見て吐き気が強いというと苦しいだろうと胃ろうからの食事もやめています。静かに呼吸が止まるのを母と左右の手を握って看取りました。
父は理想の死に方でしたよね。自宅で家族に看取られてほぼ苦しまずに穏やかに逝くなんて…。
母も最後の入院で3日目の夜に亡くなっています。心臓マッサージ以降の延命はお断りしましたので、本当に寿命だったと思います。
入院2日目は私がダウンしていて面会に行けなかったことが悔やまれますが、入院初日から時々意識が薄れる状態だったので、私は眠っているとばかり思っていました…。もう心臓がもたなかったんだと思います。でも家族って最後まで希望を捨てないから。そうじゃないと介護なんて出来ないもん。
いいように解釈すれば、母は私の疲労のこともわかっててわざと呼ばずにひっそり逝ったのかもしれません。「死に目に逢えない」のはそういうことだと聞いたことがあります。
両親を看取って改めて尊厳ということを考えます。
個人差があることだと思いますが、私には子供も孫もいないので…。もとから家族はあてにしていません。
私自身は自分でトイレにいけなくなったら(ポータブルトイレはギリギリセーフかな)、その時に食べられる感じがあっても食を断ちたいです。点滴もなしで。ただ苦痛があればそれは緩和して欲しいけれども、それ以上長く生きたくないなあ、と思います。身体拘束されるのも真っ平です。
ごく一時的な治療に必要な過程は例外でも仕方がありませんが。今どきは手術後でもすぐに歩きなさいとか言われますし。治るけど絶対安静とかの一時的手段なら仕方がないけど。
そうすると在宅になると思うけど、別にそれでいいんですね。植物が枯れるようにひっそり逝けたらいいなあ、と思います。内視鏡(PEGの造設や取り換えに必要)は死んでも嫌だし、オムツ生活も絶対に嫌なんで、それくらいなら死ぬ方がマシだという私なりの尊厳で。死に方くらいは自由に選ばせて。
昔は祖父とかもそういう感じで家で亡くなりました。直腸ガンが見つかった時はもう手遅れと診断されて、2週間ほど家で寝ついて、往診していただいて亡くなりました。昭和40年ごろです。享年76歳。母方の祖父も同じですね。当時のわりと当り前。昔はそうだったと思います。延命云々は医学が発達したからだよね。
別に安楽死でもなく自殺でもないから。「そういうのでもいいかな?」と尋ねたら、守護霊さんが思い切り肯定してくれたのでいいみたいですよ(^_^;) もうあんまり未練も執着もないから、ゴールが見えればマイペースで行けばいいだけね♫
とことん治療して欲しい人はそれでもいいし、その人の選択は否定しませんし、基本として「生かすための医学」はそれでいいとも思います。ただ選択するのは患者ですから……。だから元気なうちから考えておいたほうがいいと思います。ゴールを想定したほうが充実した生になると思います。
こういうのって何処かに書いてプリントアウトしてサインしていけばいいのかな?ほとんど遺書かも(^_^;) まあ遺書だけど(^_^;)
いずれ書くつもりだったし、近日中でもいいや。財産はないので伝言だけの遺書です。…なんか楽しくなってきた。不思議。
離陸方法を定めたらすごく気持ちが楽になりました。あとは実現させてくださいと願うだけですね(^_^;) だってこちらは仮の宿り。肉体的苦痛も食べる必要もない世界ですから今よりずっと開放感があると思っています(^^) うん、これでいいのだ(^^)
そういう想定だと悩みも減るでしょ。まあ現実ではおでんも作れないことにも悩んでるけどこれは政府と財務省が悪い!絶対!
世間知らずのエリートは役立たずやわホンマに。みんな議員や官僚になる前に数年たっぷりと医療や介護や教育現場で実地の社会勉強してきてほしい。これはマジですから(-_-;)
あー、私はその前に年賀状ですねー(^_^;) 年賀状はだから生存報告なんですよ〜(^^;)
いろいろ作れそう(^^)
しまうまさん、やってくださるんですね。嬉しい。今まで左とじの本しか作れなかったけど、右とじも出来るんだ〜。なんか楽しみが増えます(^^)フォトブックの手軽さで一冊から作れるのが大変嬉しいです(^^)
私はエリートだから優秀だとは思っていないです。頭がいいことと人間性がいいこととは別。両方を兼ね備えた方もいらっしゃいますが、残念ながらそうじゃない方のほうが多い気がします。人は人間性を見抜きますから。それはたとえ子供でもわかることです。
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年11月7日