「細かいことは気にすんな」
横になっているあいだに「ゴールデンカムイ」の23巻まで読んでしまって、もうじき出るはずの30巻と来月の31巻でおしまいなのね。まあ何度でも読み返しますが。
コミックスの帯に「闇鍋ウエスタン」とかあってずっと気になってはいます。北なのにウエスタン?樺太まで行っちゃってもウエスタン?まあ、なんとなくアメリカ映画の西部劇っぽい雰囲気はあるけどさ。「細かいことは気にすんな」なんだね、きっと(^^;)
谷垣さんとインカラマッちゃんに長女誕生、おめでとう(^^)というところです。創作でも読書でもラストが近くなると読むスピードが速くなるよね。でもおかげで多くのキャラの顔も名前もわかりました。現実の方はこうスムーズにはいかないだろうけど(-_-;)
私はもともと若い頃はこんなにポジティブで明るい性格じゃなかった気がするんですが、介護と病気を経てポジティブになったという不思議な科学変化をしました。種を植えてみるまでどういう芽がでるのかわからないもんです(^^;)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年6月5日
太陽さんの方向に伸びてよかったよ(^^;) 晴れ女の真髄??(^^;)
子供たちは強いね、頑張れ(^^)
えーと、先日取り上げた重いランドセル通学を少しでも楽にする秀逸なグッズを発明した小学生と、いちゃもんつける大人に対して理路整然と反論する小学生は痛快だったなあ(^^) あの大人の批判の基本には「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい症候群」があるようですけど、大人になってからも新入社員とか後輩に対していまだにあるのはなんででしょうね??
「自分たちも苦労したからもうちょっと楽にしてあげたい」と思う人と「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい」人とどちらも存在しますよね・この差はどこから来るのかな?と思いました。
あとの世代に苦労をさせたくない、少しでも楽になるように工夫をしたい、と思うのは結構冷静な大人の心情かも。
時間を作る 自由を作る
うちの親は生徒会役員に始まって、PTA役員、町内会役員(町内会長を含む)、お寺の班長などいろんなことをやってきましたが、代々受け継がれてきたタスクにはどう見ても無駄なこととかがあって、そういうのは改善したいから、役員会で議題として相談する、そうしたらみなさんも同じく無駄だと思ってて「賛成。廃止しましょう」「それはこっちと統合しましょう」とか意外にスムーズに話が決まるんですよね。
誰かが口火を切って変更のための話し合いで決めればいい、という議題の提案者はまあほとんど親だったと思います(^^;)
うーん、思えば合理的なことが好きな親子かも。義務はさっさと完璧に果たして、終わったら「ゆっくりビール飲みながら洋画見よう」(これは父)、とか「ちゃんと早く片付いたらTさんと美味しいもの食べに行こう」(これは母)。「さっさと帰宅して自分の原稿の続き描きたい」(私)ちゃんと意見調整もして、同意を得るからあとから文句が出ることもないですし。
なにごともスムーズに運ぶ合理的なシステムを作っておけば、次以降の人たちの仕事も楽なはずなんですよね。「自分の苦労は軽くすませたい。そうしたら次の人たちの仕事も楽になるはず」こういうのがうちの親たちと私の場合かも(^^;) 多分仕事でも勉強でも同じようにやってたんじゃないかな。 「要領はよかった」と母曰く。
基本は「早く自分の好きなことをやりたい」ためだったりします(^^;) そのための工夫がどこかでゆとりを生むのでは?みなさんだって早く自分の好きなことやりたいよねえ。
こういうことも私は両親の背中から学びました。
減らすばかりではなくて、必要なものは揃えてください、という要望も出したよ。高齢者が多いからお寺に洋式トイレを作ってくださいとか、新聞を徒歩で配るのは(そこまで信心してないから)郵送したい。そのための切手代ください。配布準備はしますから、あとは郵便屋さんにお仕事で届けていただきましょう(^^)
…だいたいそういうこと言うのは私ですが、母が役員の時だからしっかり要望を出して洋式トイレを作ってもらいました。母自身も変形性膝関節症で困っていたし、公共の場所だからあとでお参りされる方々にも喜んでもらえたのでは?
経済的援助とかは無理だけどアイデアは出すという、そういう感じでした(^^;) もうちょっと合理的に、便利に出来ないか?という課題から生まれる古今東西の発明も多いと思います(^^)
連鎖するのは怖いです
あ、それで「自分が苦労していたんだから他人にも同じ苦労させたい」という心情の方ですが、極端に言っちゃうと「自分は戦争で苦労した、だからおまえたちも行ってこい」まで行くんじゃないかと、結構鳥肌ものなんですよ。
「苦労した親世代」「だから子供も苦労しろ」が延々続くと、たとえば虐待の連鎖も続きますよね。私この連鎖の中にある気持ちに今回気がつきました。理解出来なくてずっと悩んでたの。
誰かが「これではいけない」と気付いて勇気を持って断ち切ることもすごく大事だと思います。そういう連鎖は不幸なだけですし。
みんなして「苦労は損」だって思うんだろうな。だからそんなに苦労していないように見える人たちと比べると(内実はわからなくても)やりきれなくなるんだろうな。「誰かと自分を比較する」というのは本当に根強いですよね。嫉妬もありますよね。本当のところ内面のことはわからないのに「自分はこんなに苦労してきたのに、あんただけ楽になるのはずるい」と。これは親子間でも他人同士でもあります。
公共の福祉の裏でもそういうのはしばしば感じますし。不正受給がほとんどなくても生活保護がずるいと思っちゃう人が少なからずいるようですし。せめてその立場に自分もなった時のことは想像してもいいと思います。
なんかなー、いま政治やってる人たちは未経験すぎて想像力も足りないところが多々あるからなあ…。もっと社会勉強して欲しい気持ちがふつふつと…。我々もなかなか楽になれないの。困ったもんですよね。
こんな記事見つけた。ああ、これかあ。どう受け止めて乗り越えて、消化して自分のものに出来たかで違ってくるのね。なるほど。
ひさびさのお写経効果
のろのろと描き直していた絵の完成が見えつつあります。一度は諦めて投げ出したけど、再チャレンジできて良かった。出来が悪くても完成させると達成感は得られますしね。まず一段登った達成感にはなるので(^^) やはり凡人はいきなり十段を飛び越すわけにはいきません。
描こうと決めた絵は完成させるというのが私の信条なのです。落書きとは別にして、ちゃんと完成させたいのが目標です。本当に好きで大事なことだけは双極性障害に負けずに続くんだなあ…(^_^;) で、心が落ち着く最高のお薬(^^) ひさびさのお写経効果を堪能しています。なんてありがたいことなんだろう(^^)
今回サーバのあれこれからやりなおすので(面倒で放っといた)サイトに更新まではなかなかですが…。素材も作ります、たぶん。
教育のありかた
いまふと思ったんだけど、大人もそれそれに自分が大好きなものの魅力を子供たちに真剣に力説してあげればいいのに。
無理やり嫌いなことをやらすより、「ここがいい。これが素敵」と大人が夢中になると興味をもってくれる子供が増えそうですし(^^;)それがきっかけで好きになる子が増えると嬉しい(^^)
本が好きな子、数字が好きな子、自然が好きな子などなど。きっかけはそんなものでは?「身体を動かすのってこんなに楽しいよ」と順位でも競走でもなくただ楽しさを教えてくれる大人がいたら、私ももうちょっと体育好きになってたかもね(^^;) 運動神経はもともとないけど、好きこそものの上手なれだし。
大人になっても身体を動かすのは楽しい、と言う基礎は大事で、そのための教育も大事。みんながみんなアスリートになるわけじゃないから。競走とかにしか重点を置かないのはおかしいです。
精神論というか、苦労するほどいいというわけじゃないです。したくなくても苦労は向こうからやってくるし、辛さを乗り越えるために好きなものはホントに大切。それは子供たちひとりひとり違うから。長所を伸ばして欲しい。父が「子供は既製服じゃないんだから、既製服に当てはめるのではなくて、その子に合わせた服を着せろ」と言ってたのもそういうことなんだよね。
まあ、これは本当に痛快でした(^^)
はやく帰って、さっさとやること片付けて
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年6月5日
本当に好きで楽しいことをやろう。
喧嘩とか戦争とかしている暇が惜しい。
この毎日を楽しもう。
…と思えるものがあるのが多分幸せ(^^)
そんな気がするな(^^)