よかった、本体は無事だった
予約したので、昨日ドコモショップ行って来ました。1時間半かかって色々調べて貰ったけど本体は無事でした。
…となると充電器関係かと。また行くのもしんどいし、貯まってるポイントも足してかなり強引に新しい充電器を買って帰って使ったらサクサク充電を始めた。こいつか。買って帰って良かったよ。近いけどまた行くのしんどいし。時間を取られるのもイヤだし。
うちはネットがauで私のスマホがdocomo、弟のスマホが楽天モバイルなので、どこかに統一すれば、といわれるんですが、あれだけごちゃごちゃしたら、もう当分の間はやるのもイヤだわ(ーー;)
2日続けて出ると疲労困憊になりますが(^_^;) でも良かったです(^_^;) 午後は少し昼寝してちょっと復活。横になる時間がないと辛いです(ーー;)
この秋は気温が高いので、まだまだ37℃台の微熱が下がりません。
いつも微熱だからいつもしんどいのです。でも経験のない人には想像出来ないかも。 頭痛があって鎮痛剤を飲むと頭痛は治りますが、でも熱は下がりません。自律神経の熱ってそういう感じ。
大人の恐怖はわかりづらい
Twitterをみているといろんな人がいて、例えば「本気で注射が怖い」という人がいました。もしかして先端恐怖症??普通の人とは違う怖さらしいのですが、私らはちょっと具体的に想像出来ませんよね。私などはあれが生命を救うものだと理解していたかどうか、1歳の時にすでに泣かなかった、と母が言ってましたし。
大抵の大人はどういう意味があるのか知って考えて一瞬の痛みなどを受け入れていくものですが、「本気で怖い」という人は周りに理解を求めても無理じゃないかという気はします。
なんらかのトラウマはあるのかもしれませんが、その辺を探って解決していくのはあくまでもご本人の仕事だから。周りの人間は「そうなの、困ったね」というくらいしか出来ませんね。この辺も予期不安と共通しているか。
結局のところ、「死ぬのが怖い」?
定期でツイートしますが
— カバ丸🌴🌿💐 (@KabaneuroER) 2021年10月10日
コロナの前から
どんなに屈強で
病気知らずで
健康そうでも
人はある日突然
死にます
救命救急センターでは
300人/年、亡くなります
「さっきまであんなに元気だったのに!」
何回も言われましたが
命とはそう言うものです
今日を
そして家族、友達を
大切にしてください
けさ、見送った人が無事に帰る保障なんかないものね。私は大抵いつも「いつ死んでも仕方がない」とは思っています。特に外出時は。だからそれが逆にお守りみたいになって、予期不安が起きなくなります。人の心は不思議です。
だから喧嘩して離れたくはないです。悔いが残るから。普通に当たり前に送り出したいですよね(^_^;) 自分自身も長く生きるとは思っていませんが。
完璧じゃない人生が好き
前にも書きましたが、必ずしも完治を目指す意味はないと思っています。幸いにしてそれが可能な病気であればいいですけど…。そうじゃない場合にはそれなりの心構えが必要ですし。
完治=勝利というイメージがあるかもしれませんが、人生で成功したり病が完治するのはごく僅かかもしれない。それは幸運かもしれないが、もっと他に求めるものがあるのが人生の多様性。幸せも色々。エリートを目指したくない人もいる。それぞれのペースで自分のゴールを目指せばいいし。
成功者は大抵可愛くないし(^_^;) 個人的には好きじゃない。
世の中のすべての病気が必ず完治するわけではありません。不調を抱えて共に生きていかなければならないことも多い。障害は身体的な外傷が原因だけではないので…。自分の場合は完治が可能か否か、どこかで見極める勇気は必要だし、共生の工夫も必要になります。でもそれも大切な人生です(^^)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年10月8日
いや、遺伝も関係あるやろ??
遺伝ではないと言われると逆に戸惑います。我が家の場合、母、私、弟が双極性障害で過去の親族にもそう思われる人がいたので。研究と実験に参加したかったけど両親が既に故人で無理でした(;_;) 最近の親子関係だけだよね。だから個人的な疑念は消えていません。
全然納得出来ない。ちょっと現在死にたい気分。
いままでもさんざん遺伝的要素あり、って言われてたし……。家族ぐるみの頑張りを否定されるみたいで辛い(ノ_・、) うちの家族の代々の苦労はなんだったんですか? どうして私が家庭や子供を持たない決意をしたと思いますか? いや、もういまさらいらんけどさ。自分がなにと闘ってきたのか、なにを求めて生きてきたのかわからなくなってしまった。大変辛い(ノ_・、)
どのみち、うちの家系はここで一旦絶やすから。甥や姪は環境的要素は違うけど、パニックの初期にはなったことあるから、要素はないとは言い難いかも。いくら昔の人で明確に診断されてなくても、どう聞いてもそれって性格じゃ亡くて症状だよなあ、って当事者にならわかるものがあります。
精神疾患はね、何代も昔のことと、未来のことと両方を考えてしまうから。自分の世代だけではすまないものがありますし。
双極性障害が遺伝ではないと言われたら、うちの家族は代々何と闘ってきたんでしょうか?生きる意味を見失いそうです。
「完治する」とかほざいてるやつ、殴ってもいいですか?せめて哲学的意味を見いだせるまでは頑張るつもりだけど、なんかすごく生きづらい(T_T)
両親の介護だって最期の時まで回復の希望を捨てなかったから完遂出来たんです。人が生きるのには希望が必要です。その希望の形は人それぞれでいい。
遺伝じゃないと安堵する人は多いかもしれないけど、そういう人ばかりじゃないんで、せめてフォローが欲しいです。私個人はほとんど絶望したに近いです。家族みんなが辛い中、輪をかけて私が頑張らないといけなかった理由はもう「修業」の一言に尽きます。そうじゃなければもうとっくに投げ出してるし(-_-;)
もう転生を卒業して2度と人間に生まれ変わりたくないからです。そのための卒業目指しているから。それがいまの支えだと思う。
絵も描けなくてどうしよう? 何もかも出来なくなってどうして生きていけばいいの…。死ねないのはわかってるけど。
私は科学の客観性などが好きだけど、その科学が最も絶望に近いなんて…(T_T) なんか変だ。絶望というより失望かもしれない…。
あ、でも私はトンデモにはなりません。まだ冷静な判断力はあるから。
いろんな闘病中に漫画描ける人すごいな、と素直にそう思う。自分が無理だから。過去には長編漫画の同人誌を作っていたことなんて夢みたい。もう今はそういう余力がどこにもない。イラストさえなかなか手につかない。あんなに大事にしてた唯一のものが駄目になったらもう駄目じゃないかな…(T_T)辛い
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年10月11日