循環気質
すみません。今日もかなり連休。まだうつから抜け出せません。
昨日はちゃんと内科受診して、薬ももらって、その足で食材買って帰りました。
もうちょっとましになるまで、やる気が出るまでブログの手を抜きます。
内科の先生に「いま一番幸せなのは眠っている時ですね」と言ったら「それは誰でもそうやで(^^;)」と言われちゃったけどね(^^;)
姉弟で病院のはしごから早く離脱したいものですが…(-_-;)
【気分障害になりやすい性格】
気分障害になりやすい性格として、循環気質(じゅんかんきしつ)があります。これは、開放的、社交的で温かい性格で、明るさや憂うつをさまざまな割合でもつものです。
また、執着性格があります。これは熱中しやすく徹底的で、責任感が強く、融通がきかず、方向転換するのが苦手な人です。疲れていても休むことができず、ますます疲れて、躁病やうつ病になるのです。
メランコリー親和型性格とは、大うつ病になりやすい性格で、すべてのことをきちんとする人です。すなわち他人に対しては気を配り、仕事は几帳面、徹底的、責任感が強く、予定した仕事はしてしまわないといられない性格です。このような人が、昇進や転居などで、それまで慣れ親しんだ環境が乱れると柔軟に対処できず、うつ病になると考えられています。
循環気質
循環性格,躁うつ質ともいう。高揚 (爽快) と憂うつ (悲哀) の間を気分が循環して揺れ動き,精神テンポは活発と緩慢の間で波動的曲線をたどる特徴を示す気質。ドイツの精神科医 E.クレッチマーの学説で,躁うつ病患者によくみられるが,そのほか正常人でも陽気なおしゃべり,もの静かなユーモリスト,情のある人,のんきな人,精力的な実際家などに多くみられ,一般にこの気質の人は太った体型である。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について
昔はぴんとこなかったけど、このごろなんだか結構あてはまる気がします。
人のまことが強いわけだわ
寝ているあいだに睡眠学習してるのかどうかわからないけど、私の中で「頭のいい人」の定義がころっとひっくり返った1年だった。本当に頭がいい人格者というのは基準が変わっても変わらないけどね(^^)
なんだか共感性羞恥を覚える人も増えたかも…。いろんなことが変化してるから、そういうのについていけない人はこれからきついのかもしれない。主にそういう人たちに共感性羞恥を覚える。
ネット小姑たちがうるさい
私もリアルで小姑だったことがあるけど、基本的に和を尊ぶ性格なんで、喧嘩したことないです。いまでも会っても普通に話してるし。
ただ、セーブするという意味でいまもSNSで実名でやってて正解だと自分で思います。
「おっさん構文キモい」という話題が盛り上がるたびに、たしかにキモいが、我が国の散文文化を築いた端緒のひとつに60才を越えたおっさんが書き出した「男が書くという日記を女の自分も書いてみた」にあるという、なかなかな文学史的事実を、もっと広く喧伝すべきでは…と謎の使命感に包まれる。
— たられば (@tarareba722) 2021年9月28日
「この文体とこのフォーマットでなければ伝えられない気持ちがある」という認識は、言語研究の基礎であり言葉を愛し言葉に縛られている言葉族なわれわれの「業」でもあるので、ある文体をからかうのはほどほどにしたほうがいいと思うよなあ、、、という話でもありまして。
— たられば (@tarareba722) 2021年9月28日
ネットの世間は全員が小姑ですかね? 文句つけてる暇があれば自分が書けばいいのに。
ブログ18年続けて書いてると、もう他人の文章に文句つけるなんて逆におこがましくて出来なくなる。 それで食べているわけでもないから余計にそう思う。まわりが無責任でうるさいんだと思う。自分は書かなくてもなんとも言えるというからかね?
だからもう好きなように書いて。読者の好き嫌いは気にしなくていい。どうせ全てに好かれるわけがない。自然に変化したり淘汰されたりすると思うし。それでどうでも最後まで残ることにそれなりの価値があると思う。
古典だってそうでしょう?数百年、千年残る真理。文体なんて一時の流行にすぎないかもしれない。それでも残るべきものは残ると思う。
書いて。気の済むように書いて。読む読まないは読者に任せればいいし。
あ。私もちょっとやる気が出てきそうな気がする(^^;) ちょっと闘争心みたいな感じ?
だって斗宿の生まれですし(^^;) うまく浮上のきっかけになるといいなあ、と思います。