時間を行き来して辿ること
私は時々前の家の「その後の現状」を調べます。なんとなく気になるんですよね。無事にどなたか新しい住人に渡るまで。
で、昨日も検索してみました。結果。
土地だけでは売れないらしくて、建て売り住宅になっています。取り扱い不動産会社も二転三転。
今年12月完成予定。間取りはサンプルとして提案されていた通りです。うーん、建物が建つと一気に倍近い価格になるのか。まあ新築ですけどね。
でもこのご時世ではどうなることやら…??
そういえば今の団地のこの部屋の来歴ですが、ストリートビューのタイムマシンで見ると2014年頃までは前の住人の方が住んでおられます。ベランダにすだれが見える。その後の数年は空き室で、うちが申し込む前に2、3ヶ月かけてリフォームされたようです。壁紙も建具も畳も全部新品だったし。
いまの時代はそういうこともすぐにわかるから面白いなあ。作業療法士さんに「恭子さんはなんでも調べるほうですね」と言われてますが、面白いじゃないですか (^_^;) ちょっとした探偵気分になれますし。これって旅の計画を立てるのと基本的に同じです。私は計画たてるのと実際に行くのとおなじくらいに好きでした。お仕着せのプランでは満足出来ない人です (^_^;)
2階のリフォームされた部屋にも遠からず新しい方が来られると思います (😊)そろそろ今年の9月分の申し込みが始まりますし。5、6月ごろのリフォームだから綺麗になっているはず。2階だから障害のあるかたメインかもね。
ここは10階建てですが、エレベーターがあるので、障害者優先が多いです。弟が「ここは障害者(自分もだけど)と高齢者がすごい多い」と言ってますが、昔みたいに暴れる若い子がほとんどいなくてええやん、と言っております。
でもやっぱり文化的には物足りないか。
町の真ん中から遠ざかる
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— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年8月29日
霊感というのと微妙に違うけど。
このごろ否定出来なくなってきたかも…。
少しずつ文化的なものから離れてるというと、まあ、京都の真ん中から端っこに移ってるから仕方がないんですが。
この星マークの場所が生家です。もういまはありませんが。
うちは普通のサラリーマン家庭でしたが、御所の近くなので毎日御苑内で遊び、祖母が絵本を読んでくれて、父の青焼き図面の裏をカットして表に綴じて母がお絵描き帳を作ってくれてましたし、なぜか家の中に百人一首の札が散らばっていて、私はそれで字を覚えました。
そういう家です。バレエ教室も遠からぬ場所にあったし。
母の話「あんたは身体が弱いからバレエでも習わそうかと思うて教室に見学に連れて行ったのに、見向きもせんから、こらあかんわ、と連れて帰ってきた」そうで。3、4歳のころにすでにはっきり好き嫌いがあった子でした。それも多分自我だろうな。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年8月28日
すいません、好き嫌いはいまも明確です (^_^;)
神社やお寺はやたらとあったし、小学校の時は授業がお昼前に打ち切りで「お祭り(葵祭、時代祭り)見てきなさい」と言われる。
まあ、そういう文化はありましたね。今の私の嗜好と深い関係がありそうな… (^_^;)
で、ここに越したら文化がないとショックだったのは事実です。社寺も祭りもない。
子供にはそれなりの文化はあった方がいいよね。大人でもそれは思うから。
深草はまあ、練兵場あとですが、神社とお祭りはいろいろありました。ここにきて氏神様にご挨拶を、と思ったら、新しい土地だからか神社もないのよね。ちょっとがっかり。
京都という場所がいかに多くの社寺で構成されているかよくわかりました。別に信仰心じゃなくても「ちょっとご挨拶」というところがないと寂しいです。不思議なものですね。そばにある時には全然そういうことを思わなかったですが。
なんか原風景みたいなものがあるんだろうな。「トトロの森」みたいな村の鎮守さまの風景にやたら懐かしさを感じる次第。私の子供のころの城南宮がそういう感じの場所でした。まだ名神が出来る前、田畑の中の道を抜けて行くとか。
子供でも「この風景は死ぬまで忘れない」という確信がありまして、そういうものをいままでにいくつも記憶の底に残してこれたのはしあわせだと思います。
涼しくなったら、また新しい風景に出会いたいなあ、とちょっと楽しみにしています (^_^;)
べつに安倍さんだから優しくしているわけじゃない。まだ結構厳しいくらい。弱っているひとには誰にでも同様に言葉をかけると思う。私のデフォルトはそうだからだよ。だから良くなったらちゃんと責任取ってね、も忘れてないし。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年8月29日
差別も依怙贔屓もしない。
これが当たり前の世の中になって欲しい。
私の両親は昭和一桁生まれの戦争体験世代ですが、私にはバリバリにスペシャルな自己肯定感をつけていってくれました。おかげで他人の価値感に左右されない人生です。父は海外で仕事したこともありますがあの意識はどこから来たのか不思議です。60年前で現在の最先端の意識だったような気がします。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年8月29日
なんかプチバズってるな。いつも思ってることなんだけどね。
めちゃくちゃのろのろ描き始めた線画。