なかなか身体的疲労は抜けない
まだ一日の2/3は横になっています。
これも予約投稿なんで、これを書いたら寝るつもりです。長いこと起きているのが辛いです (/_;)
昨日は食材がないので、仕方なくスーパーに行きましたが、暑くてしんどくて汗が目に入るし、無性にいらいらして帰るなり扇風機にあたってしまいました。邪魔な場所にあるんだもん。弟が直してくれましたが、私もたまーにキレたりします。
ものに当たることが多いけど、実行する前に片付けることを考えてしまうからひどくはない。でも一度発泡スチロールに当たったときは最悪だった。静電気でくっつくんですよ、あれ。片付けるのが半端じゃなかった。
食器はもっと大変だし、当たっても片付けなくてもいいものが欲しいと思っています。
仕事じゃなくても燃え尽きる
仕事でなくてもバーンアウトにはなる。それだけできた自分を誇りに思ってもいい、とかあります。
自分がやったことには後悔してないし自分でもよくやったと思うけど、バーンアウトのことは以前から看護師さんに危惧されてたなー、と振り返る。そういう行動の一部始終だったんだと思います。私って懸命になるとわれを忘れるところがあるなあ。それだからこそパニック障害を克服できたんだろうけど…。
そちら関係の記事を見たら「できたことに対して自分を褒めてあげて」とありましたが、まあ、それは実際褒めてます(^_^;) 私だからできたのかも、と正直思うことも結構あったしね。それはいいんです、別に。
ただ悔しいのはやりきったあとにまったく余力が残っていなかったこと。そこを見誤ったんですね。でも全力でやらないと成し遂げられなかったと思っています。難しいなあ… (ーー;)
まあ…余力がないから燃え尽きるのか…。でもゴール直前ってどうしても全力で走ってしまうよね。そこでひと休みなんか出来ないし。スケジュールも時間刻みだったしさ。マジで走ってたと思う。法務局から住宅供給公社なんてさ…。時間の締め切りがあったもん。休むと資格がなくなる不安とか、本当にいろいろありました。
精神的なストレスはやっぱりあったのかも…。
やれやれ、終わった。出来たね。というタイミングはやばいです。昔からインフルエンザなどに負けるのもそういうタイミングでした。わかってたけど、でもまだ自分には余力があると信じてたんだな…。ほんとに悔しい(;_;)
実は前にもあったのよ
両親の介護を終えた時も今ほどではないけれども、やはり軽い燃え尽き症候群っぽくなったんですね。2年前かな。以下はその時にお坊さんにいただいた言葉です。
アイルランド出身のジョージ・バーナード・ショーの名言のひとつに、「人生には二つの悲劇がある。一つは願いがかなわぬこと、もう一つはその願いがかなうこと。(There are two tragedies in life. One is to lose your heart’s desire. The other is to gain it.)」という文言があります。「その願いがかなうこと」とは、もしかしたら、燃え尽き症候群を指しているのかもしれないと、今回のご相談を読んで思いました。(今回のご相談での、その願いがかなうこととは、介護が全うされた、ということです。)
さて、燃え尽き症候群に限らず、生きていく上での支えとなる人の喪失によって、私たちは気力を失い、何もする気になれなくなるものです。
このような症状からの回復には、あなたと故人との関係の再構築が必要だと思います。今までは、話をしたければいつでも話が出来た。顔を見たければ、いつでも行って見ることが出来た。そのような関係から、今度は、「目には見えないけれども、いつも浄土より私のことを見守ってくれている。」あるいは、「心の中で私と一緒に生き続けてくれている。」などと、故人との関係を作り直すことです。そうすることが、生きていく上での支えとなる人の喪失による無気力感からの回復に繋がっていくことでしょう。
ただ、それには時間がかかるかもしれません。でも、焦らないことです。故人との関係が深ければ深いほど、その関係の再構築には時間を要すると思います。頭では「いつも私のことを見守ってくれている。」と思っても、それを自分の中にスーッと落とし込むには、時間が必要でしょう。
人生の二つの悲劇。「願いがかなわぬこと」と「その願いがかなうこと」。しかし、そこから新たなる生き方が見いだされることは、悲劇ではないでしょう。
お坊さん、さすがに深いです。前の「猿沢の池」の方とは違う方です。
おかげさまで両親との関係と心の問題については私なりの関係が再構築できたと思います。
今回問題なのはやっぱり純粋な心身の疲労と、新たに創作に取り組むためのエネルギーの備蓄の問題なんでしょうね。まだどこかへ出かけるほどの回復はしていないのは仕方がありません。
もしかすると「永遠に未完成であること」は実は幸せなのかもしれません。
家賃17万相当の公営住宅ってどんなだ?
そういえば先日、所得証明を提出したんですが、毎年提出しないと公営住宅でも民間のマンションと同程度の家賃を求められます。
昨日来た公営住宅便りという新聞では民間に相当すると月17万!ってところもあった。きっと広くて新しくて綺麗ですごく便利なあそこらへんね。倍率恐ろしく高いところね。あそこなら17万でもおかしくないかも。でもあそこはいくら応募しても永遠に当たりそうにないです(ーー;)
この団地も民間のマンションの相場ならいくらくらいするのか知っています。
今回やっと水が張れないほど壊れた浴槽は市が修理します、とか書いてありました。市の費用で。そこまで壊れるのってひどいな(-_-;)
それと老化や病気や障害で、階段が上り下りできなくなった人は、他の団地の1階とか、エレベーター付きの団地に引っ越せるように応募できるとも書いてありました。色々便宜は計られているようです。
「もう他人と競争したり、争ったり、そういうことはしたくない、自分には向かない。もっと穏やかに生きていたい」という願いを叶えてくれるのが双極性障害というのもあるかな、私の場合。単に1人で好きに生きたい場合、そういうことにエネルギー使うのも惜しいし。一抜けた、という病気かもしれない。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月27日