生きている限り疲労感はなくならない
昨夜も疲労のため7時でダウン(-_-;) ますます気力が続かず、困った状態になっていますが、このところの話をすると、みなさんが大変だよね、と言ってくださるので、やっぱり大変だったんだな、とは思います(-_-;) ちょっとどこか他人事のようですが(^_^;)
まあ、パニックしないだけやっぱり経験値を積んだような気はします。
人生に対する慢性的な疲労感があるので、特別に死ぬのが怖いとかあんまり思っていない気がする。だからコロナウィルスに対しても普通のインフルエンザと同じくらいにしか感じてないな。麻疹などの方がよほど怖いぞ。空気感染するし。
でも正直に言うとオリンピックの話を聞いた時から「なんとなく無理じゃないか?」という気がしていたので無理っぽいかも。自然災害が原因かな?と思いましたが、感染症が原因というのもありえますね。
対策のまずさも含めて、日本の信頼、地に墜ちた感もあるしな(-_-;)
最寄りのドラッグストアではマスクの販売に整理券が配られていました。
やはり不摂生は遠因だと思う
昨日、弟の担当の訪問看護師さんが来られましたが、「なんでそこまで血管が弱ったかと考えると、やはり今までの不摂生のせいもあると思うので、気合を入れて生活習慣を改めましょう」とのことです。全くその通りだと思います。
「ちゃんと夜は寝て、昼間にご飯を食べて、お風呂にも入って、少しは身体も動かして。アルコールとか今までの影響が出てると思うから、改めないとこの先怖いことになるよ」
……もう十分怖かったです。
来週の半ばくらいまで休養したらぼちぼち散歩なども、と言うことで。広い病院の中をうろうろした私の方が足にいい運動した気がしますが(^_^;)
「疲れるのも無理ないです」と緊急電話でも私のことも案じてくださっていたので、ありがたかったですが。今まで契約書を忘れてた、と言う緊急連絡についての書類にサインしました。
自立支援なので、お金がかからないのは助かります。(自立支援といえどもいくらかかったかはちゃんと国保の通知が来ますけどね)
なんだか人のために頑張ってしまう人たちばかり
いま現在病気療養中の親しい人が複数名いらっしゃるので、何も出来ない無力感もあるんですね。でもこれはきっと治療にあたられる側にもあるだろうと思う。いずれの立場にしても人は強さと弱さを併せ持ちます。生命に対して謙虚にならざるを得ない。
もしかすると「祈り」というのは自分では動かしようがない運命に対しての無力感からそうせざるを得なくて生まれて来るのかもしれないですね。いま私はそんなふうに感じています。
自分は無力だ…(-_-;)
今日は起きた都合と体調によって、DoCoMoショップに行こうかなあ、と考えてはいます。これを書いている時点では予定は未定です。
自分がしんどいから今日は短めで。