実は数日フライングなんですが、ややこしい時期でもあるし、この記事だけは結構早くに書いちゃっていたので、はやばやと投稿。すみません (;゚∀゚)
2004年11月18日にブログを始めてまる15年が経ちました。
19日からは16年目ですね。
記事数は8740いくつくらい(いい加減)?
始めたのは文章が多少なり上手くなれるといいなあ、と思ったのがきっかけです。
それ以前には自分のサイトで3行日記みたいな物を書いていたけど、いちいちアップロードするのが面倒になりましたので。
以後はずっとブログですね、だから基本的にはどこまで行っても「日記」なんですよね。それが人様に読んでいただけるというのは不思議なご縁ですが、「やめようとは思わなかった」だけで15年続きました (^_^;)
たいしたお金にもなりませんし、有名にもなりませんし、大きく生活が変わったわけではありませんが、そういうのが目的ではなかったので、それでいいと思います。
「日記」なので、一番大きな意味と意義をもつのは自分自身にとってです。
まあ、いろいろありましたけれども、父の介護と看取り、母の介護と看取り、弟の世話やら自分の病気やら、不動産関係のあれこやや…。
人並みに体力が続かない私にとっては厳しいことばかりが続きました。
それでも書いていてよかったと思うのは備忘録として読み返した時に、10年以上昔のことでも、書いた当時の記憶はもちろん感情や思考までとても鮮やかに蘇ってくることです。
自分の文章にそれだけの力があるのなら、忘れる心配は不要かもしれません。あの時何をしてたかな?ってあんまりわからないことがないです。コメントをくださった方々のこともよく覚えています。
大変だったけど、それなりに日々充実していたことがわかります。
毎日ただぼーっと生きていたとは言わせない。
私は中学生くらいの時から「仮にいつ死んでも日々後悔しないように選択して生きていこう」と思ったので、そういう毎日の積み重ねで来た現状には後悔がないんですね。多分、日々大切に過ごして来れたと思います。
なんかさ…。幼稚園児の頃から変に精神面で早熟な感じがあって、まわりの子よりもわりと「醒めた子供」でした。で、「生きることについて、いつも考えていないと生きている気がしない」というこじらせ感も強くて (^_^;)
価値観としての「成功」とかそういうのにはやっぱり興味がなくて、自分が感じるものを大事にしたいと思いますし。心震わせるものを記憶にとどめていきたいな。
喜怒哀楽はもちろんですが、やっぱり「感動」ですよね(^_^;) 人として生まれた意義は。一つでも多くの感動に出会えたら幸せです。
そういえば画家とか分筆家の人であんまり認知症って聞いたことないような気がします。百歳過ぎても現役の画家っているよね。
自分の内部を整理して文章にすることはとてもいい脳への刺激ではないかしら。
そんなふうにも思うこの頃です。
もっとも短期記憶の単語やお名前はよく忘れがちなのでいまいち自信がありませんが…(^_^;)
この年代であんまり続けている人って少ないから、そのうち証明になるかもしれません (^_^;)
これ、すごくわかるし、励みにもなりますね。
苦しみのさなかにあるとき、そこからはい出ようとして、書物をあさることがある。だが、そうしたときは「読む」よりも「書く」方がよほど重要だ。「読む」とは他者の言葉を「つえ」にすることでもあるが、「書く」とは、自分のなかに、ぜったいに折れない「言葉のつえ」を見いだすことでもあるからだ。
— 若松英輔 (@yomutokaku) November 5, 2019
もともと数字は一切気にしない性分のために、PV数もアドセンスもほとんど見ない毎日です。もともとたいしたお金にならないと思うからそういう気軽さがいいのかもね (^_^;) そもそもお金儲けは好きじゃないから続かないと思う。
何気に時々哲学っぽい記事やスピリチュアルっぽい記事が混ざりますが、たぶんそれも私らしさなんでしょう。永遠の中二病です(^^) 自分で突然気付いたことに思わず感動して泣いてたりするもんなー (^_^;)(そういうことあんまりないですか??)
これからも肩の力を抜いていきたいです。いろんな意味で達観。
今後ともゆるーくおつきあいくださいませ (^_^;)
もうじきブログ継続丸15年。たいしたお金にもならず、有名にもならず、試行錯誤しながら重ねてきた日々だが、そういうものに替えられない価値が残った。自分がただぼーっと生きてきたわけではない真摯な記録になって良かったと心から思う(^^) 続けてきて良かったよ、自己満足最高やん!
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) November 6, 2019