平成の初めはテレビで見ていた
平安絵巻(正確には平安じゃないけど)は見るよりも描きたい(T_T) 禁断症状が出そうだ。もとよりテレビがないから見てません。引っ越してもテレビを買おうかどうか悩みます。今のところ見たいのは羽生さんだけだしな…。
音がだめだからミュートでという方法もあるけど、CMは映像もうるさいし(-_-;)
でもココナラでお問い合わせをいただいたお仕事はお断りして、受付全部をしばらくお休みすることにしました。再開出来るのは多分来年です。ごめんね。
考えてみたら平成の始まりの時ってまだネットなかったよね。生まれてない人も少なくなかったよね。
…違和感はそれかいな?Twitter(-_-;)
瑞兆の言い伝えが生まれる時??
いや、昨日はあまりにも瑞兆に関する記事を見かけたんで、なんか奇妙な感覚になりました。普段はそういうことを言わないであろう人たちが浮かれていたし。
虹が現れたとか、雨が急に止んだとか、あまりにもベストなタイミングだったみたいですが、でもちょっと待って、と思ってしまいました。私はこの類いの話はよく目にするし、そもそも古代から平安末期にかけての歴史には詳しい方だと思うんですが。
平安時代も描いてるし、かつては古代物の漫画も描いてたし、記紀には馴染みのある人間なんですが。オリジナルデザインの神剣も勾玉も鏡も描いてるね(^_^;)
そのせいかむしろ逆に冷静に見てしまう。
呪術的に思える出来事って、個人レベルで庶民レベルで結構普通に日常の中で起きてるんだけど、意外とそれに気付いたり眼を留めたりする人は少なくて、何か公の慶弔時に結び付くとやっと認識されるのかもしれないなあ、と思う次第です。
みなさん忙しいって事かもね。気が付く余裕が持てれば楽しいんだけどなあ…(^_^;)
私個人ですらタイミング的に不思議なできごとはよく経験していると思います。
なんだか感動が薄くてごめんなさい。私個人にはあまり特別感がなくてさ…。
いつも普通にいろいろあるのと、古代史的世界に馴染みすぎてるのと、世界をちょっとズレた方向から見ているせいもあると思う(-_-;)
本当に個人レベルで起きてることをみなさん普段は認識してないだけだと思う…。あれで感動するなら、日常的なものを見落とすのは勿体無いかもしれないと思うんですが。
虹は普通に二重のことが多いですね。副虹ですね。たまに三重のこともあるけど。私も三重までは見たことあるな。
「日出処の天子」の中で三重の虹が出ている、と刀自古が見たくてやきもきするシーンがあるんですが、私初めてそこを読んだ時(雑誌連載中だったから40年くらい前か)、あれ?山岸涼子さん、いままで三重の虹って見た事なかったんだ、とちょっと意外に思った記憶があります。
自然現象なので、結構あるんですが、本当にみなさん、それに注意が向かず、認めていなかっただけだと思います。
まあ、神道の神はほとんど自然神なので、気象や季節との関わりが深いですが。私みたいにいちいち身体が反応してしまうと嫌でもそういう変化に過敏になります。
こういうのもネットのない時代には特に話題にならなかったしね。ただあれだけ低い位置の虹は珍しい。太陽高度が高い時だったしな。いいもん見ました (^_^)
こういう変化に気付きやすいと日常の中でのちいさな幸せにも気付きやすくなりますね (^_^;)
冷静に分析している私って…。ああでも瑞兆の伝説が出来る背景は理解しました。日頃は無関心な人まで過剰に反応する傾向があるからだなあ。いや、無関心な人ほど新鮮に思うからかもなあ…。
「1000年未来で言われる」とか言ってる人がいたけど、そこまで言っていいかどうか?まあ、好きなようにしてください (^_^;)
自分のそばに起きる変化にも敏感になるともっといいことがあるよ、きっと (^_^;)