いまは坂道はタクシーでないと無理 (ーー;)
昨日、雨が降り出す前に納骨してきました。たまたま顔を合わせたご近所さんたちが送ってくださって、タイミングが良かったです。
場所は伏見稲荷とほど遠からぬ場所。通っていた小学校からぐるっと山を回って、宝塔寺→石峰寺とまわって、さらに山の裏側から回ってこれる場所でした。さすがに子供は健脚。スキップしながら石段降りてた記憶があるなあ、と。
いまは階段登るのも結構きついですもんね。私は2、3日前から右膝がちょっと痛くて重いものを持つのが辛いし。
でもここの職員の方は大変親切です。電話の応答の段階でわかってしまう親切さ(^_^;) この頃本当に声と話し方でほぼ確実に相手の方の性格や対応がバッチリわかってしまいます。まあ、みなさん、概ね親切に対応してくださいますが、とりわけここの方々は親切でした。
埋葬許可証と私の住民票が必要で、書類を書いてサインして、永代供養の場合は「遺骨を返せとは言いません」と言う承諾書にサインしました。
合同の納骨堂ですから、単独保管じゃないと思います。おそらく骨壷から出してしまうんだろうと思います。戻せないよね。
京都市民のお墓です
で、納骨堂へ。地図で楕円に見える部分の右側が納骨堂になっています。
係りの方が「こちらは初めてですか?」とおっしゃるので、いえ、子供の頃には遊んでました」というと「この近辺の方はみなさんそうおっしゃるんですよね」とのこと。子供が遊ぶ墓地(^^)
私が子供の頃にも全く暗い印象がなかったですが、子供が遊べる場所は陰の気も浄化されそうだなあ、と思います。墓地としてはものすごく理想的だと思う。
春には枝垂れ桜が咲きます (^_^)
ここの話をすると、大抵の方が「あ、〇〇さんがねえ」と身近な人の利用者をさんをご存知です。うちの両親も顔が広いから知ってる人にたくさん出会えてそうな気がします(^_^;)
花束抱えてウォーキングがてらにお参りされる方とか。生活の一部にある墓地なので、全く暗い感じがしません。見晴らしもいいし。
宗派を問わない墓地です。年に二度くらい例大祭みたいなのがあって、ここに1500人くらいの方が集まられるようですが、それは参加はとても無理なので、人が少ない平日にこそっとお参りしたいです (;゚∀゚)
弟が「こんなところで働けるとええなあ」とボソッと言いました(^_^;)
区役所に寄って墓地で使った住民票を再発行、印鑑証明ももらってきました。それですでに結構疲れてます(^_^;)
労われたりいたわられたり
近所のおばちゃんに「引っ越したらなあ、あとはもうのんびりゆっくり暮らすんやで」と労われました。
側からはそう見えるのかな?まあ、両親の頃から続いてるしな。疲れてないとか、大変だとか言うと嘘になるけど、われながら、その大変なことを結構楽しんでいる部分はあるよなあ、と思います。
肉体がなければ出来ない勉強だと思ってるよね(^_^;) 肉対消滅後を自分なりに想定しているので、人生をすごく長いスケールで捉えているんじゃないかと思います。それでもってすでに身体がなくなった人たちもいろいろサポートしてくれているイメージ。
もちろん、今現在でご縁があって現実にサポートしてくださっている方々の存在も私には宝ですから…。いろいろあっても自分が不幸だと感じないのはそのおかげじゃないかと思います(^_^;) とても多くの方に助けられている実感があります。ありがたいです。
でもまだ弟いますけど、どこへ行ってもやることは同じだと思いますけど、でも労っていただいた気持ちだけありがたく頂いておきます(^^)
近所のおばちゃんたちには、長年(50年以上)お世話になりすぎて、何か記念に送りたいと考えているんですが、何がいいのか思いつかない…(>_<)
なにかいいアイデアがあれば教えてください(^_^;)
あ、それで空になった仏壇は、明日回収業者さんが取りに来られます。一応合同で魂抜きもしてもらいますが、多分お寺に頼むよりは安いと思うけど、家ごとの残存物の処理に50万かかると言われても納得せざるを得ません。
片付け費用は半端ないと思い知る(ーー;) このタイミングだから消費税がひどく痛いわ (/_;)
生まれること、成長すること、成熟すること、病むこと、老いること、死ぬこと。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) October 21, 2019
全部1本の「生涯」という糸にグラデーションで染められているとわかります?しかもそれはすべての人に平等なんですよ。
違うのは彩りや太さや若干の長さだけ。自分の糸を愛おしみたいですね。