実はオタクは最強じゃないかと思う事
お待たせしました! 待望の「十二国記」新作長編の発売日が決まりましたので、お知らせいたします。今作の大長編は全四巻で、10月、11月二ヶ月連続刊行となります。一、二巻が10月12日(土)、三、四巻が11月9日(土)発売です!(通常の新潮文庫新刊発売日とは異なるので、ご注意ください) pic.twitter.com/kj1JUZQDRj
— 小野不由美「十二国記」/新潮社公式 (@12koku_shincho) April 19, 2019
待った甲斐があって、この秋めでたく新刊が出るんですよ、奥さん。
いや、本当に嬉しいかぎり (^_^;) 多分まだシリーズの完結には至らないと思いますが、やっぱりきちんと完結まで読まないと死ぬに死ねない (^_^;) なんだか最強な気がするな (^_^;)
私、自分がオタクでよかったなあ、としみじみ思います。自分の中で幸せになれる力があるので、これって結構あるんですよね。このご意見もよくわかるし。
自分がオタク育ちで良かったと思うのは、自然と嫌いなものの話(悪口)は口に出さない性格になったこと。
— ふね (@Yukifunese) April 17, 2019
「自分の地雷は必ず誰かの推しであり、それぞれ好みが違うのは当然。他人の好みを否定するのはマナー違反」というのはオタク界の常識だし、そもそも推しが輝きすぎていて他の話をする暇がない!
同じファンとも仲良くなれるし。
先日、ひきこもりについてTwitterでやりとりをしていて、「でも引きこもっている人が外に出ようと思ったら、体力、気力と、目的と、それと資金が必要なんですよ」と言ったら「そのとおりです」と同意してくださる人があって「実は去年羽生結弦展に行って以来どこにも行けてません」「私もパレード以来どこにも…」「ひょっとしてお仲間ですか?」「ですね (^_^;)」ということで「ひきこもりの人間を外に連れ出す羽生さんのパワーはすごい」ということになりました (^_^;)
まあ、これは羽生さんだけに限りませんが…。好きな人やもののために動けるのがオタクなんだな。コミュニケーション能力が備わっていれば結構最高かもしれません (^_^;)
片付けていて、やはり思い入れのある同人誌は処分出来ないなあ、と思いました。どうしたって深く愛したものは捨てられないのが人情。出来れば墓場にまで持って行きたいものがたくさんある人生って幸せだと思います (^_^)
なによりも好きなもののために生きられる (^_^)
菩薩と明王の業が深いという話
この方のまとめが興味深かったので思わずブックマークしてしまいました。
際限なく人を救いたいというのはわかるけど、現実として肉体という不自由な重しがあるから、精神は肉体的な限界の中でしか飛翔出来ないところはあるよね。
その肉体の枷があるから、とても多くの人を救いたいと願っても、やれるのは自分とご縁があった人とそのご縁に繋がる人たちくらいのもので、普通の人間はそれでいっぱいいっぱいなんだけど、まあそこで力を尽くして「なるようにしかならない」ことになってもそれでいいんじゃないでしょうか?
私はそういう点は完全主義ではないので、「ご縁」という括りで見ている部分も大きいです。
それだって、世の中の人が全部自分とご縁があった人に親切にしようとか優しくしたいとか行動するだけでも、世の中がもうちょっと楽になるかもいれませんしね。
私の中の菩薩というと観音菩薩か地蔵菩薩ですし、この場合はやはり現実の人の姿を借りて顕現されるみたいですし、私の感覚もあながち間違いじゃないのかもしれません (^_^;)
不動明王と言えば、引っ越しにまつわるすべてのことが無事に終わればお礼参りに行こうと考えております。あの気持がいい不動明王真言を浴びてきたいな(^^) 色んな事がうまく行くといいなあ。
人と対峙するのはHSPの要素が強い私にはとても疲れることだけど、でも基本的には孤独に強くても人は嫌いじゃなくて、多くの学びを与えてくれるし、誰かを幸せな気持ちにすることで自分も幸せになれる。鏡のようだと知っているから、だから絶望しないでいられるのかもしれない。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) April 18, 2019
ちょっと久し振りに描こうとしたら、軽くブランクを感じました。手が戸惑う、ソフトに対して。
よそ見していても手が勝手に動く状態を維持しないといけないのに。
忙しいけどもうちょいマジに時間を作ろう。
私は自分軸で生きている
なんかさ「あの人はユニークだし変わってるけど、何か言ってもスルーされるだけだから言うだけ無駄」とまわりが納得してくれると楽だなあ。
エムグラム診断の結果を見ていると私ってどうもそういう人らしいです (^_^;) 確かにほとんど他人になにも言われない。バリアがあるのかとたまに思うほど。
変な、というかユニークな形で承認されている気もするわ (^_^;) 私自身が常識に捕われてないからかもしれない。
幼稚園児の頃から自分軸がぶれてないというのはやっぱり変なやつだよね。価値観がずっと変わってないという事だと思います。自分の道しか見えてない。まあ、それでいいんだと思います (^_^;)
私の自分軸は「死ぬまで好きな絵を描き続けること」です。これは病気になっても残ってくれた大切なもの。
大切だから仕事にはしたくない。生涯アマチュアでいい。でも描くための環境を整える努力は怠らない、というので現実対応が出来ます。
いま引っ越し準備を頑張っているのもはっきりとそのためです。
「好きで楽しい」ことが一番大事。これってアドラー先生も言ってるね。私みたいなタイプはアドラー先生の言にかなり近いと思う。
でも大切なのはアドラー先生にもこだわらないこと。オタク的に好きなことに価値観を置いて生きる事。これを漠然とした形で幼稚園児のころから認識してました。
他の子とは違うけど、でもきっと違っていいんだというのを両親は応援してくれたので、学歴とかそういうことに関心がない親でよかったです。
自分の価値観で生きられる事がこの人生の宝物。ただし貧乏ですが、それは結構どうでもいいかもしれないな (^_^;)
泣きたいくらいに幸せだと感じる (^_^)