最近、発達障害というのが広く認識されるようになったのはいいことだと思うけど、もっと昔の自分の子供の頃の発達障害ではない生きづらさみたいなものは果たして何だったんだろうか?? #Milkカフェ
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) November 21, 2018
昨日アップした3連作ですが、昨日のお昼過ぎに3作まとめたB2ポスターにして出力発注したら、夕方にメールが来て、早くも今日に届くそうです。はやっ。ネットサービスもアマゾン並みに早くなってるなあ、ということで…。
それでも家庭用のプリンタは必要なんですよね〜(ーー;)
日常の中に落とし穴は存在している
親の介護を全うすると、うっかりすると「どうせ死ぬのになぜ生まれて来た?」という虚無の迷路に落ち込む危険があります。
これは何の前触れもなしに、本当にいきなり来るから怖いです。突然崖っぷちに立ってる感じ?まあ、こういうことは私は昔から割とあるんですが…。
だから「大好きなもの」というストッパーを用意しておく必要があります。多くの種類はいらないが、それさえあれば生きていけるくらいの大好きなものが必要です。
母は生前「あんたらが困った時に見知らぬ人に親切にしてもらえたら嬉しいし」と言いながら他人に親切にしていました。そういうことを誰から学んだかわかりませんが、あるいはひいばあちゃんだったのかもしれません。ひいばあちゃんもそういう人だったらしいので…。
その時の両親の人徳のおかげで私もずいぶんありがたい目に逢っている。亡くして気づく親の偉大さですね(^_^)
次世代以降に残す財産は本当はそういうものだと思っています。目には見えず、形はないけど、ずーっと歳月を経て巡り巡って帰ってくるようなもの。
魂が響くものたち
言葉が力を持つのはそれに魂が込められる時だと思う。「言霊」というやつですね。
歌が心に響くのはやはりそこに魂が入っているからで、これはその他の表現全てに通じるものだと思います。人の心に届くのはそういうもの。
経文でもただおざなりで唱えても力なんてないでしょうし。その他の言葉もそうですね。
ある話ではあの世に届くのはイメージらしいので、綺麗なものを絵に描くのは理にかなっていると思います。きっと音楽やその他の芸術もそうだと思います。綺麗なイメージの世界を送るのは祈りと同じだという気がします。
そういえば東山魁夷さんが「描くことは祈ること」だとおっしゃっていたけど、今はそれもよくわかります。もしかして、今回の作品、両親のリクエストかな?(^_^;) 母には私の画集を持って行ってもらったし。棺の中に入れるものに制約が多かったんだけど、オール紙の画集は大丈夫だったしね。
特養でも自慢していてくれたらしいから、あの世でもそうだといいな。力がなくて自分の手で重い画集が持てなかったけど、今は大丈夫だろうし。
イメージの中の両親は二人とも若返っていつも仲がいいのです。きっと幸せだと思います。私も安心するな(^_^;)
これからも美しいイメージを送り続けたいと思っています。絵という形で、祈りを込めて。それが私の魂の仕事だと思うから…。
いつまでも仲良く幸せでいてください(^_^)
遠く離れた愛おしいものに対しては、本当に幸せでいてください、という願いしかない。生きている甥や姪に対してもそうだったし。「元気で、幸せでいてください」それが私の祈り。