微熱の記録
メモって看護師さんに見せる。
3/2 12:00
ちなみに訪問看護ステーションではスタッフも患者さんも全員無事だそうです(^_^;) 優秀。
まあ、患者さんはみなさんあまり外出されないかな。私も病院とスーパーとコンビニしか行ってないけど。ただの風邪であることを祈ります(^_^;)
3/2 16:30
37.2℃。軽い頭痛あり。鼻水は止まってるけど全身倦怠感(ほぼいつもの)と背中の痛み少しあり。なんだか悩む症状だなあ(-_-;) 風邪かどうかもわからなくなった。
日頃からいろいろありすぎて、どれくらい異常なのかそうでないないのかもわからないです(-_-;)
まあ、しばらく様子見でちょっと大人しくしておいた方がいいのかもしれません。
3/2 18:00
鼻水止まってなかった。しんどいから早めに寝ます。
昨日もよく救急車が走ってた。
お知り合いのコロナ関係の訃報を聞くと、不謹慎ではありますが、両親があのタイミングで亡くなってて良かったと思ってしまう。納得の葬儀も出来たしね。
災害でも戦争でも疫病でもなく、ごくごく普通に逝けるのが今の時代の幸せかもとすら思えます。 タイミングという人生の不思議さよ。
インフルエンザはいきなり関節の痛み→悪寒→発熱パターンが多いからわかりやすいけどね…。
3/2 19:30
現在36.9℃。この変化は自律神経っぽいかも。鼻水出るけど。
今日も救急車が頻繁に走っています。
おやすみなさい(^_^;)
3/3 1:00
せん妄や認知症の妄想があっても根っこは同じ
両親とも入院時にせん妄はあった。父は夜中に有名な女性芸人さんがおむつ交換してくださった「あんな有名な人が」と感激し、母は孫娘が来てくれたと喜んだ。往復10時間以上かかるのにそれは無理。でも2人にとっては限りなく真実だった。そうか、可愛いやん、と微笑ましく思った。せん妄の記憶(^^) https://t.co/ksemKznaDp
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年3月2日
介護中は親を本当に可愛いと思うことが多かった。ありがたかったな。死を恐れていた父を本当に安らかな死に導くことができたのは神仏のご加護もあったと思うし、本望だったことが叶って心から安堵した。だから現在あの世とこの世の距離はとても近いのです(^^)
ちょっと印象に残るので、メモがわりに。
講員さんの子供さんで発達障害や鬱病や引きこもりのお子さんも少なくない そういうお子さんを祈祷一発で治すというのはあり得ない ゆっくりと長い時間をかけて薄皮を剥ぐように一枚ずつ剥がしていき、それと同時にその子が受けているその家の業を慰霊や先祖供養で浄化していく それは年単位で行う事
お子さんに対して親と言えどもいつも正しくいれるわけもない 親自身が精神的に辛かったり子供に向き合う気力がなくなったりもするだろう そういう時こそ信仰を持っている人はそれが人生の修行だと思うべきだし、修行なんかしたくないと思うと余計辛いことが起きる 神仏の力を受けて生きて欲しいと願う
どうして私にこんな子供ばかり授かるのだろうと思う人もいるだろう どうして私ばかりがこんな目にあわないといけないのかと涙にくれる日もあるだろう そうであっても、あなたは生きていかねばならない 神も仏もそのためにある 辛い苦しい人を救う力が神であり仏である 観念の遊びであれば神仏は不要だ
目の前の人を全員救う事はどんな宗教でもできないだろう どんな人であっても救ってあげたいと思う心が神の御心であり仏の御心であると信じて生きる また、神の道や仏の道に生きる者であれば、目の前の人を何とか救おうと思わずして、何の神職か、何の僧侶か 自分も他人も救われたいからこそ救うのだ
救う手段は、人それぞれ 募金でもいい ボランティアでもいい 社会貢献でもいい 念仏でもいい 題目でもいい 真言を唱えても読経して功徳を回向してもいい 祝詞で世界平和を祈ってもいい どんな手段であっても、自分も他人も共に救われたいと神仏に祈ることを毎日コツコツと地道に続ければよい
人のために祈るのに何の資格も修行もいらない 作法があった方が良いのであればその作法で祈ればいい ただ手を合わして祈るだけでも良い 3歳の子供でも出来る 祈りに何かを唱えたければ好きな言葉を唱えよう そうして祈りを自分の中に構築できたら 自分の心惹かれる神や仏の祈りを覚えると良い
人のために祈れると自分のためにも祈れるようになる 自分と他人という心の壁がなくなり、自分も他人も皆幸せになりますようにという境地になる そこまで心の底から思えるのは大変なことだが、市井の俗人であってもそういう菩薩のような人は少なくないし、宗教家の肩書があっても自分の欲だけの人もいる
宗教家こそ業が深いからこそ神仏の特別養護学級に入れられているのだから、それを誇るのではなく、自分こそ普通の人以下なので謙虚に生きなければと覚悟して生きる そうすれば、思い上がりもなくなる それが出来るようにと微力ながら努めている
「宗教家こそ業が深いからこそ神仏の特別養護学級に入れられている」というのは面白い視点ですねえ。
なんかもう気付いちゃって、自分には特別の宗教は必要ないっていうのも知ってるけど、祈るのはやっぱり精神安定効果が大ですね。ただし依存しなければ、ですかね。そういう気はします(^_^;)
夜中に追記したらお腹が空いてきた。でも食べずに寝ます。夜中に食べないというのも習慣なので。