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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

苦労は受け止めて成長の足がかりにするっきゃない

 

10日くらい前まで暑かった気がする

 

やっとのことで羽毛布団をカバーに入れて干しました。弟が折り畳みの物干しを日除け用に持って行ったので、もう1本物干し竿が必要か悩み中。買ったら担いで歩いて帰って来ないと。信号の向こうはニトリ

 

そういえば最近車で竿竹売りに来る業者さんに会いませんね。

 

羽毛布団を干す間に肌布団とパイルの敷きパッドを洗濯して干しました。さすがに部屋が暗めです。午後3時回ってたしね(^_^;)

結局今回は物干し竿を買いませんでした。

 

ぬくぬくになりましたが、真冬でもここに上から毛布を足すくらいですね。ここへ来てから暖冬なので、あまり暖房もつけてなかった気がします。

 

 

どうせ苦労するなら

 

 

せっかく苦労したのに成長出来なかった人は勿体ないですよね。

 

いや、でもあえて受けなくても向こうからやってくる苦労は少なくないし、そういう場合は「身に降りかかる火の粉は自分で払う努力はしないといけないよなあ」とは思います。自分からあえて苦労を探し出す人ってあんまりないよね(^^;)

 

苦労のない人生とかあるのかな?私あんまり知らないわ。苦労しなくてすむならいいんですけど……。でもほとんどの苦労は呼ばずとも向こうから押し寄せてくるのよねー。

 

でも「これが自分の修業」だと思うと、おのずと身の処し方が違ってくる気がします。

 

どうせなら苦労しても優しくなれたらいいのですが。

 

苦労は受け止めて成長の足がかりにするっきゃない。でも病気になるまえに逃げろ、ですね。逃げるのも勇気ある決断。やるだけやったけど駄目だから逃げる、という見極めも大事よ。慣れると7割くらいで引き際の予測が可能になります。そこで一旦下がって態勢を立て直してもいいと思います。

 

 

 

 

 

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被災地の死者と残されたものたち

 

gendai.ismedia.jp

 

 

 

 

この本、思わず注文してしまいました。あの震災からずっと心を引き寄せられるテーマです。

 

津波のあとからずっと気になっているテーマで追いかけ続けてるんだけど、自分でも理由がよくわからないのです。追い続けることが慰霊の意味になるのかもしれませんが、でも震災以降、あの世とこの世の距離がうんと近くなって個人的な死生観に大きな影響を与えたのは確かです。死を想定しないと生きることを考えられなくなりました。

 

魂というか心の底から揺さぶられた震災でした。

 

自分の両親が亡くなってもレイヤーが違うだけの存在感があるので、多くの人もそうなんじゃないかと感じる。あの世とこの世はわりと近い。そして恐怖ではないし。家族のひとりの死が多くの人の死を理解し把握する基準になっているというか、私にはそういう感じです。

 

真摯に死を考えることで、自分の軸になる死生観が確立するし、私みたいなタイプがそれを確率させたら揺るがないものになるし。「死」を視界に置くということは「生」の前後にある肉体が滅びて以後のことも範囲にいれて考えるんで、刹那的な思考も出来なくなりますね。それが大事なことかもしれません。

 

自分が生きている間さえよければ、じゃ亡くて、若い世代や子供たちや、また過去の世代も広い時代を見ないといけなくなるんですよね。そういうのがこれからはいっそう大事になるのかもね。

 

またちゃんと読んでから語れることがあるといいなあ、と思います。

 

 

 

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あ、これはブラウザをchromeにしたので、遊んでみたものです。こういうのってすぐに遊びたくなるので。

 

Firefoxのテーマもいろいろ作っていますので、ユーザーの方はよろしくお願いします(^^;)

 

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