つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

なにがあっても生きてさえいればなんとかなる

 

あまり欲張らないようになりましたが…

 


早くも30日です。本当に今年は8ヶ月くらいしかなかったような気分(ーー;)

 

今年はお絵描きもはかどらず(夏に不調だったせいかな??)トータル6点しか完成させることが出来ませんでした。耳鼻科の通院も半年に及びました。どこまで回復が可能かわかりませんが、あまり不自由を感じないところまでは頑張りたいです。一番悪かった時よりも明らかに良くなっているので、もうちょっとなんとかね〜(^_^;)

 

あと、来年の目標は仕事なんですが、今年もいまいちで、「縁のものですから…」と作業療法士さんには言われていますが、せめて半日でもいいからできることがやりたいです。ただ、それも外で働くのは現状では無理となるから、余計にハードル高くなってしまうんだなあ…(*-д-)-з 

 

本当に縁のものかあ…。ここ2、3年ずっと言っていますけど…(^_^;)

 

 

4年前を振り返る


いま、ちょうど4年前になるのか、母が倒れた前後のことを読み返しています。

 

私のブログは本当に日記であり、備忘録なので、かなりいろいろ書いてあって、読み返すと記述していないあれこれも自動的に蘇ってくるという、本当に備忘録としては大したものだと思っています。

 

だから、その当時のあれやこれやが全部詳しく蘇ってきて、同時にその時の気持ちも思い出してしまいます。

 

自分で言うのもなんですが、その当時もすごくよくやってたなあ、と感じました。自分の病気を一時的に忘れないととても動けないというか、自分で「葬式躁病ってこういう感じ?」とか書いています。

 

そういう感じで動いてました。もちろん反動も出るんですが、在宅介護だと長く寝ているわけにもいきませんし、相当無理矢理に身体を引きずっていたなあ、と…。

 

母の在宅介護は1年半でしたが、やはり私一人では限界だったと思います。介護殺人はさすがに考えなかったけど、介護心中は頭をよぎったかなあ…。だからいまは特養で見てもらえて助かっています。

 

我が家の場合、母が要介護5で、私も弟も2級の精神障害者なので、特養も比較的早い順序で入れたのですが、それでも半年待ちました。申し込むか否かでかなり悩んで、早朝に何度もケアマネさんにメールしてはまた気が変わり…。

 

「恭子さんの早朝メールは急いで返事しないようにしますね」と言われたり…。だってほら、うつの時は朝方が一番不調で弱気になるんですよ…。

 

 

過去の自分は最高のライバル兼味方でもある


そのへんのあれこれを振り返ると、私もよくやったなあ、と自分でも思えます。あの時の自分がよくやったんだから、いまの私にもできないはずはない、とも思います。

 

肉体的なピークは若い頃ですが、精神的なものは私は生きている限りは成長が可能だと思っています。だから昔の私にいまの自分が負けるはずがない、と過去の自分に励まされています。

 

自分のライバルは他人ではなくて、どこまで行っても自分自身ですね。

 

過去の自分が証明してくれています。「なにがあっても生きてさえいればなんとかなるよ」と…。

 

そういうふうに過去の自分に励まされるのも悪くないですね。自分はなんでも知っている。その上で大丈夫、と言ってくれているのと同様なので…(^_^;)

 

 

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さ、食材の買い出しに行こうかなあ…。

 

 

 

 

 

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