加湿器のお手入れについて
このところ、心身ともに調子が悪い日々が続いていてうつうつとしています。私が調子がいいときは大抵ブログも予約投稿になるのですが、いまごろの時間まで書きたいことがうかばないとか、まとまらないとかいうときはやっぱり不調の目安になるなあ、と自分でも思います(ーー;)
まあ、昨日は母のところに顔を見に行ってきたんですが…。土曜日は胃ろう交換のためにどうしても行かないといけないので、本当に顔を見るだけですが。
行ったついでに加湿器を綺麗に手入れと掃除してきました。こういうのがあるのでね。
部屋の水道からは熱湯は出ないでしょうし、やっぱりエタノールは細部の掃除のときにも必要な気がするけど…。子供用の歯ブラシとか、綿棒とかも必要になるかなあ、と確認してきました。汚れやすい部分も確認できたので、来週からは集中的に手入れすることが可能だと思います。一応、100円ショップにあったクエン酸も手に入れたので、それも使えるかも…。
特養では決して多くの人数がおられるわけではないので、こういうことは毎週家族が行ったときにやる方が確実だと思います。どうせ在宅で見ていても家族がやるんだし…。熱湯が使えないのが不便だけどさ。
特養にいても、こういうことは自分でやった方が安心、というのもありますので、まあ、それなりにやることがあった方がいいなあ、と…(^_^;)
それで用事が済めばまたしても眠気に襲われていたりして…(^_^;) あ、そうだ、のびすぎたヒゲのようなものを切ろうとしたらハサミだと怖がるから、安全カミソリのようなものも必要かもしれませんね。
母を特養に預けているから、介護に関することをまったく考えずにすむわけでは決してありませんで、距離があるけど、大抵ずっと気にしている状態ではあります。
情動の底がないと本物の文章は書けない
私はいくつかのクラウドソーシングに登録だけはしています。実際にやることはほとんどありませんが、何気にライティングの分野にも登録はしてあったんですよね。そうしたらたまにお声がかかりますが、そういう仕事って本当に私の興味がない分野ばかりなんですよね。
髪の毛対策とか、旅行についてとか、仮想通貨について、とか。そういうのって素人にも声がかかるらしいです。まあ医学とかじゃない分、ましかもしれませんが、私は自分が興味がなくて、勉強したり、経験したり、そういう潜在的な関わりがないと、そういう文章は書けないと思いました。
例えば自分が経験した病気についてとか、介護について、とか、そういう裏付けを自分で取れる分野のものなら書けると思いますが、資料があったとしてもそれをレポート的にまとめるというのも多分無理です。そこに情動がなければ。
emotion
(心身の動揺を伴うような)強い感情、感激、感動、(喜怒哀楽の)感情、(理性・意志に対して)感情、情緒
エモーションがなければ生きた文章が書けないです。
このごろプロの記者の文章でもなんだかいいかげんなものが増えつつあるので…。まあ情報としての文章にエモーションは必要じゃないかもしれないけど、でも冷静な底の方に見えたりするよね。
不器用だけど、借り物の情報で借り物の文章を作るのは私には無理だと思いました。だからライティングの項目は削除しました。どうせなら、心が動く本物の文章しか書きたくないです。
ブログの文章がより「私に近い」というのはそのエモーションの部分が底として存在しているからだと思います。だからブログは書けるけど、ライティングの仕事は無理、というのも私には自然なことでした。
とことん、不器用だと自分でも思いますが…(*-д-)-з
読む方にしても、底がない文章は基本的に信用しない方がいい、と思っています。ちゃんと署名の入った文章、もしくは個人のブログの内容の方が信用に価する気がします。
多分、偏見じゃないと思う。うわすべりして頭に入ってこない文章も少なからずあるのが、いまのネットの世界ですしね。