母へのお見舞い品など
今日は今年最後で母のところに行こうと考えています。
またヒガシくんの写真が増えたのと、CDが増えたのと、リップクリームを持って行きたいのもありますし…(^_^;)
去年は年末に伏見稲荷に参拝したけど、今年はそういう余裕もなさそうです。ずっと家に家にいるのに、なんでこんなに忙しいのかよく分からない。
見方によってはシュールにも見える、写真の中の本「母親に死んで欲しい」というのも読みました。自分なりにいろいろ思うことがあるので、それがある程度形になって、気力がある時にゆっくり書きたいと思っています。
正直に思うのは、一刻も早く外部に助けを求めることが出来て、フォローが早ければ早いほど悲劇が防げるのではないか?と感じました。精神疾患に対することと共通点があります。でも素直にSOSが出せない人が少なくないんですよね。その辺の意識をどう変えるかも課題かなあ…と思ったり…。この本についてはまた後日。
やっぱり「普通」がよくわからない
このごろ知り合う人が軒並み「生きづらさ」を抱えた人ばかりなので、「普通ってなんだろう?」というのがますますわからなくなってきています。人数が多いから、かろうじて「普通」と言われていても、その狭い枠に収まることが出来ない人はたくさんいるわけで…。そういう人たちも自分らしく生きられるのが普通の社会なんじゃないかとも思いますし…。
悩みというのも人それぞれの価値観で違ってくるし、たとえば私なんか頭の前半分、ほとんど真っ白になってしまって、人から見たら「苦労してますね」と思われたりしますけど、実は白髪については自分ではまったく悩んでいないから無問題なんですよね。染めるとかやるほうがよほどうっとおしいし。髪が白くてもなにも困っていません。
でも両耳が聞こえないと、生活そのものに大きな不便が生じるので、これは困るし、治したいと思うわけですが。
もしも弟が腎臓が悪くて、透析とか必要になったりしたら(いまはまだ全然大丈夫なんですが)…このあいだ検査結果がわかるまでに考えてました。いろいろと透析とか面倒だし時間もかかるし、「私の腎臓、ひとつあげるわ。70歳くらいまでならドナーになれるし。このごろ夫婦間の生体間移植も多いみたいだけど、きょうだいのほうが適合する可能性は高いと思うぞ」と。
作業療法士さんに「そんなに簡単に言わないでくださいよ」と苦笑されていましたが、別に合理的な方法だと思ったんだけどなあ…。
こういう考え方をする私もあんまり普通の範疇に入らないのかもしれません。
空想好きで現実思考
私は生来、空想好きでどうかすると、心があちらにふわふわと飛んで行ってしまいそうなタイプだと思っていました。
が、このごろではどういう診断をやってみても「きわめて現実思考の論理的タイプ」だと言われます。子供の頃の自分と比較すると面白いです。
有名なリクルートの「グッドポイント診断」でも私の強みは「独創性・親密性・現実思考・冷静沈着・柔軟性」だそうですから…。
説明には
「現実思考」
あなたは、等身大の自分を軸にして、現実的にものごとを考えることができます。また、実際にものごとに取り組む際は、成果のみでなく、そこにいたるまでの努力の過程も大切にしています。夢物語にはあまり興味がなく、実際的なものこそ価値があると考えています。あなたにとって重要なのは、「今この時」であり、「現実」なのです。
あなたは常に具体的で現実的な提案を行い、実現可能な目標を定め、真摯に努力します。周りからは「地に足がついている」と表現され、その堅実性・実現可能性を評価されることが多いでしょう。
ーーーーーーとあります。
これは思えばすごく当たり前で、現実的に情報を仕入れて分析し、具体的な過程を辿らないとものごとが解決に導けないからですね。
これは自分が困難な状況にぶつかって、そのつど先行きを探るためにおのずと身についたとも思えます。
問題を解決するためには「困難な現実」を正面から見つめて受け入れることが必要不可欠なんですけど、そこから逃げないことで、人生のレッスンが徐々に解決されて、人間的にレベルアップしていくのね、と気づいたときに、逃げようという気持ちはなくなりました。解決することができればさらに自分がレベルアップできるのね、と思いますし…。
現実がゲームみたいにやり甲斐がある課題に満ちています。私はゲームは全くやらない人間なんですが、本だけはたくさん読んできたので、過去の読書歴の中からそれなりにヒントになるものを見つける事が出来ます。
どうかすると自分や家族の生死もかかっていますが、やり直しがきかないだけに真剣なゲームだと思っています。
それでもって、真剣なだけにやり遂げた時の達成感もすごいし…。
たぶん、ポジティブ思考というのは単純になんでも明るく考えるのとは違って、まず目の前の問題から逃げないことから始まると思っています。
大変だけど、正面から向きあって解決に至る道を試行錯誤するというのはものすごく経験値を積むことになるので、その後の人生においても役立つものになると思います。
やっぱりバランスの問題だよね(^_^;)
イマジナリー・フレンドやキャラクターたちも私の経験値が上がると成長しているのがわかります。外見は変わりませんが、彼らの棲む世界がより広く深く豊かになっているのを感じます。相互作用があるようです。面白いなあ、と思います (^_^;)
彼らはやはりどこまでも私を生かすために力を貸していてくれる存在で、だからこそ、生の終わりの時もそばにいてくれる確信が持てるのですね。 …それも私の現実。