ここしばらく寝る直前まで仕事をしているために、自分が本当にやりたいことが出来なくて不満が溜まりつつあります。寝る直前まで頭を使うと、横になってもなかなか眠れなかったりするので、生活のリズムも崩れそうで…。
「メールでのやりとりは何時から何時まで」と書いておいたほうがいいんだろうか…。会社勤務ならこの公私の区切りはつけやすいですが、在宅だとこれが難しくなるのも悩みですね…(ーー;)
とにかく近いうちに見直す必要があるなあ、と思っています。
私にあまり気力と体力がないから、すぐに本末転倒してしまう可能性があるんですよね。ため息です。
可能なら明日か明後日にまた母のところにも行ってあげたいですし…。ちょっと落ち着いているといいんですが…。やっぱり気になるから…。
昨日は郵便局に走って行って、その後届いた大きな荷物(トイレットペーパーとかティッシュとかの重くてかさばるもの)を片付けていたら、マッサージの先生の測定で久しぶりに血圧150ありました。バタバタしているからだよね。脈も110だったし。そうか、そういう時に上がるのか。寝不足もあったしなあ…。
自分の体調と折り合いをつけながら仕事をするのってなかなか難しいと思います(ーー;)
離婚した弟の元妻(つまりもと義妹ですね)は保育士です。いまもまだ保育の仕事をしています。
地元の高校を出たあと、上京して、友人とルームシェアをして住んで、昼間は保育所、もしくは幼稚園でアルバイトしながら、夜間は保育の学校に通って保育士の資格を取りました。が、その間はひどく貧乏だったそうで、「食べるものがキャベツしかなかった」とか賞味期限切れのカップ麺を食べたら油が悪くなっていたみたいで、食中毒になった、とかいろいろ聞いています。
あの頃はそういうことも珍しくなかったかなあ…。目的と期間が限定されていたから頑張れた、っていうのもありますよね。結婚してからは京都でやはり幼稚園や保育園にパートで勤めていました。私も勤め先の保育園のバザーなどに遊び行ったことがあります。
一番印象に残っているのが、その後に勤めた「幼児教室」でした。まだ赤ちゃんというような子供を預かって、いい幼稚園に入れるために保育とお勉強もさせる、という感じのところでしょうか。
超有名企業の会長のお孫さんだとか、有名な家元のお子さんだとか、うちのご近所の病院のお子さんだとか、そういう子の保育をしていたみたい。送迎バスにもよく乗っていたので、いまでも街中でバスを見かけると思い出します。
「もと夫婦」はお互いに顔をあわせて話したりはしませんが、私や母とはいまでも連絡を取っていますし、やっぱり長く一緒に暮らしていた時の記憶ってたくさんあるんですよね。一緒に旅行もしたし…。
正社員じゃない保育士の場合はそんなに高給じゃないでしょう。パートだとやっぱりね。でも幼児教室なんかの場合は少しくらいましだったかもしれません。聞いたことないけど。
でも離婚後も郷里に帰ってからも保育の仕事が好きで、いい出会いに恵まれて、園長先生の信頼を得て、働いています。で、姪っ子はお母さんの勤務する保育所に子供を預けて介護士の仕事をしている次第。
人生っていろいろだなあ…。みんなそれなりに苦労はいっぱいしてるよなあ…。知っている人だけでも安楽に左うちわで暮らしている人なんていないもん。そういうのがまあ人生における修行なんでしょうね…。
そういえば、甥っ子が行っていた保育園は毎日のようにマラソンしていましたし、毎月山登りハイキングで、京都市のまわりの山を登っていました。上醍醐とかいろいろで、一番最後には比叡山でした。逞しくなりますよね(^_^;) 結局あれがよかったのかもしれません。
ちなみに消防学校では競歩で富士山登山があったそうです。体力ないとできない仕事だから、原点は保育園時代にあったのかも…(^_^;) 裸足保育だったのとか、園長先生はなぜかいつも黒い服だったとか、そういうのも覚えてます。
ちょっとしみじみしてみる今日の私…(ーー;)
まだ途中の仕事、早い事キリつけたいです〜(*-д-)-з