線画の途中ではありますが、ちょこっと日記など。
昨日の午後は体調が悪かったのと、やっぱりなんとなくうつ傾向でしばらくダウンしておりました (ーー;)
今年、何度目に日本に失望したのか、もうわからないくらいですが、なんだかとても厭世的になっていたのは確かです (ーー;)
私が落ち込んだところで、世界がなにも変化するわけでもなく、改善に向かうわけでもないんですが、それもどうしようもなくて、どんどんうつがひどくなるのにブレーキがかけられなかったみたいです。
やっぱりこれが私の弱さなんだろうな、と思うのですが…。すでに10代の頃からしばしば落ち込む資質があったので、もとより改善するわけもなく、いまでは生涯付き合うしかない自分の一部なんだと諦めてもいますが…。
きっとこれで行動力があって、思考や活動が外に向かう人間だったら、いまごろ絵なんか描いてないだろうな、とも思います。
結局これも個性だっていうことで、きちんと認めてつきあうべきものだなあ、ってことですね。いまさら自分を否定することも出来ませんし… (ーー;)
今日は明け方にちょっとましな夢を見たので、いくらか気分も浮上しております。
すでに成人した甥や姪も夢の中では子供のままのことが多いんですよね。で、そういう子供たちに向かって「美味しいよ〜。これって富士山の伏流水だから」と言いながら、小学校に引いた水道の水を多くの子供たちと味わっている夢でした。
姪を含めた女の子たちが緑のドレスを着て、お祝いのように踊ってくれていました。
ただの水なんだけど、夢の中ではちゃんと味がわかって、まさしく「甘露」だったんですよね。地下水だから年中冷たくて、11度だったかな?そういうことまで覚えています。この夢がなんの比喩なのかはわかりませんが…。
反面、寝ぼけていたのか、夜中に実際に母と会話していたらしいのですが、(しかもまともな返事をしていたらしい)それを全然覚えてないんですよね〜 (ーー;)
ケータイを充電してバッグにしまったらしいのも覚えてません。どっちの世界にいたのか、実に怪しいものだと思います (ーー;)
私は波長が合うと、続きに数冊くらい、その作家の本を読む傾向があるのですが、最近では重松清さんから、米原万里さんと来て、現在はなんとなく南木桂士さんを読んでおります。
芥川賞作家だから、こういうのを純文学っていうのかな?まあ、面白ければなんでもいいんですが。
作家兼お医者さんだったりします。1951年生まれというと、すでに還暦を迎えてらっしゃいますね。
で、この「からだのままに」は小説ではなくエッセイですが。
まだ20代の研修医の頃から、肺ガン患者の重篤なケースばかりに立ち会ってきたので、パニック障害からうつ病にもなったんだとか。
で、精神のバランスを取る意味のようでもあって、書くことも自然になっていったというような…。…なんだか、わかる気がしました。
やはり生まれつき鬱に傾きやすい人間っていうのはいるんじゃないのかな?
本当は真摯に生命そのものと向き合いたいけど、必要以上に共感と共鳴をしてしまう。だから創作によってバランスを取る必要なあるようなタイプって…。私もそうかもしれないなあ、と思いつつ、不思議な共感を抱いたのでした。
小説の中で、いまのところ一番のお気に入りはこれかなあ。「阿弥陀堂だより」
米原万里さんの本では下の2冊が結構気に入っております。この方も比較的若くして亡くなられていますが、惜しまれる視野の広い方でしたね…。
いずれにしてもまだ全作品を読破したわけではありませんので、まだ読める本がたくさんあるから嬉しいし、楽しみでもありますね〜 (^_^;)