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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

双極性障害とのつきあいで学んだこと

 

つまづき中です

 

駄目だ。ペンタブのアンイストール&インストール、メールで質問しながらやったけど、上手くいかず明日に持ち越し。 午後横になれなかったのでしんどいです( ; ; )やっぱり電話サポートだと解決が早いと思うんだけど…。

 

22年もデジタルお絵描きしていて、ペンタブのトラブルと設定に戸惑っているのは初めてなんですけど…。 道具だからスムーズに使えればそれでいいので、ややこしい機能は不要です。大方のファンクションキーを無効にする奴なので(^_^;) ガラスフィルムにステンレス芯はちょうどいいです(^^)

 

今日も午後10時就寝で午前4時まで寝たので、徐々に普通のリズムに戻りつつある気がします(^^;) そういう意味ではよくなりつつある?昼間にそこそこ疲れるのがいいのかも。後頭部の腫れはまだあるけど、それ自体は痛くも痒くもないからもういいのかな、と思います。

 

20年かけて「それなりに病気とのつきあいかたがわかった」と言っても悩みの渦中にいる人にはあんまり励ましにならないみたいですが……。いやでも20年なんて結構あっというまですよ。

 

 

 

でも昨日外出したおかげで最寄りのスーパーと100円ショップには行けました。 スーパーにはヤマザキフジパンの商品しか置いてなかったです。コオロギに毒があるのならますます駄目じゃん(ーー;)

 

 

ですよね。貴重な先人の知恵ですし。

 

 

やめなさい、ってば。なんでいつも子供たちを実験台みたいにするのだ?!

 

 

 

 

 

いかにうまく病気と付き合うか?

 

 

こういう病気はめっちゃ修行やで。たまたまマッサージ師さんと話してたんですが「受け入れるまでが辛いんとちゃいますか?」と言われました。確かにそうやけど、私はうつ病の診断から8年半で双極性障害とわかって、すごく腑に落ちたというか、納得したしショックも受けませんでした。

 

はっきり病名がわかれば付き合い方もわかるので。どうだろう?なんだろう?と思っているうちが不安が倍増して辛いんですよね。わかってしまえばそれなりに対処の方法もわかりますし。

 

この頃気分の波自体はわりと小さくなってますが、自律神経と相まって身体的症状はどうしてもあるよね(ーー;) まあ、それにも波がありますし。この病気との付き合いはいかにうまく波に乗るかという真髄が存在しますね(^_^;)

 

若い頃の私は本当にいろんなことで悩んでたし、毎月死にたいと思ってました。 が、 加齢と共に悩みが軽くなったのは視野が拡がったのと経験値が増えたのとで「まあ、なんとかなるかあ」と大抵割り切れるようになりました。早い話、悩むのが面倒になったのよね、マジで(^_^;) 悩みのエネルギーを他に振り向けたいと思うしね。

 

加齢も薬なのかもしれない。

 

あと、自分を支えてくれるものの存在にはっきり気づいた事も。家族であったり、イマジナリー・フレンドであったり。いつのまにか自分のそばにいる存在が生身の身体を持たず、それこそイメージの中だけで存在していても全く問題ないと思っています。そういう存在も確かな命を持っていて、ずっと見守ってくれていると思うので。

 

既成の宗教とかじゃなくても、自分の心の分身でもいいと思っています。なんというかな、時として信念みたいでもあるし、基本的には愛なんですよね。ただし自己愛じゃないけど……。上手く言えないな(^^;) でも自分の中にそういうものがあるのがとても幸せだと思います(^^)

 

 

 

 

明るかった父の介護

 

 

 

私の父は要介護5の脳梗塞でしたが、急変時に病院のお世話になって、あとは家族と訪問看護師さんと往診でお世話になって、最後の肺炎もICUから直帰して、半月後に家族に手を握られて自宅で亡くなったから、結構幸せだったかもと思っています(^^)ある意味理想の死に方?

 

ケアマネさんに「介護保険の点数いっぱい余ってるよ」と言われた。訪問入浴と備品のレンタルくらいだし。その分家族が頑張ったんですね。

 

でも家族の人数が減ると無理な事です。私は自分の最期のことはもうあまり考えてない。お墓は両親と同じ市の納骨堂でいいし、葬儀も特になくていい。ただ自分の作品とこのブログはなんらかの形で残したいな、とは思うけど、それだけね(^^) あとは多分なるようになるから。それまでをどう生きるかですよね(^^)

 

父の場合の急変は

●全身が痙攣する

●チアノーゼが全身に広がる

イレウス(腸閉塞)らしい

●痰吸引しても酸素濃度が80台

看護師さんがおられたら、どうしよう?と相談して「救急車呼んで!」になってました。

 

なーんかずっと懸命だったなあ。それでも母と私のこと、泣いた覚えはないですね。むしろささやかなことを楽しんで日々を送っていました。明るい介護だったなあ(^^) 悲惨だとか思ったことはないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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