なにかの意志が突然閃く
昨日はいいお天気で廊下にもベランダ外の公園にもスズメが一杯来ている。春が嬉しいらしい。
私も幸せ(^^) なんのお愛想もできませんが、ゆっくりして行ってね~♬ スズメもカラスも実は結構なれるらしいんだけど、迂闊に餌付けをするとまたご近所迷惑になるかもしれないので、さすがに遠慮しています。でも鳥たちがご機嫌なのはよくわかる(^^) スズメ以外の鳥の声も聞こえるし。
一昨日はカメラを向けた時に桜に「まだ駄目よ。早いよ」と言われたんだけど、そういう唐突な自然の声というか意志というか、そういうものが瞬時に頭の中に伝わることがあるんです。悪い声じゃないですが。
昨日の朝にアンチウィルスソフトが余計なことして、私のブログまでブロックしたから怒ってたんですが、前に別のソフト(Avira)でスキャンした時は「仕事したよ。褒めて(^^)」という可愛い感じだったのに、今日のソフト(Avast)はこれ見よがしにしつこいアピールをするもので、ちょっと怒ってアンインストールをして、前に働いてくれた子と、新たにApple storeでマルウェアだけを見張ってくれる子をインストールしました。
ソフトにも性格があるように感じてしまうのですね。メカですらそうだから、鳥とか樹木とかの意志が伝わる気がしてもおかしくないような…(^^;)
ニュータウン(一応ね)というのは氏神様もないし、お寺さんもない(大晦日の除夜の鐘も聴こえない)。きわめつけは文化施設も街の本屋さんもないし、根っからの京都人の私にはすごい物足りないところです。まあ、自然はあるけどさ。ないものをあげると「歴史」になるのかもしれませんね。
空想と夢想は、どちらも現実からかけ離れた事柄や場面を思い描くことをいうが、空想は自ら意識的に思い描く場合に用い、夢想は夢のように当てもない内容で、将来の夢や希望といった憧れを含む場合に用いる。
古くは、夢の中に神仏が現れ、お告げをすることを「夢想」といった。妄想とは、根拠もなくあれこれと想像すること。
空想や夢想も非現実的な想像であるが、妄想は不道徳・不健全な欲求で想像することや、「誇大妄想」や「被害妄想」など、根拠のない想像であるにもかかわらず、事実であるかのように確信してしまうことにいう。
後者の事実と確信してしまう妄想は、精神疾患や薬物中毒などによって生じるもので、空想や夢想の想像とは大きく異なる。幻想とは、現実にないことをあるかのように思い浮かべること。
無意識的に思い浮かべ、現実との区別がつかなくなる点では妄想と似ているが、「幻想を抱く」「女性に対する幻想」というように、幻想は「期待」の意味を含んで使われる。
ボーダーライン?
でも昨日は作業療法士さんが来られたので、そのあたりを一度訊いてみました。他の人は病的な幻覚&幻聴と自分の空想をどうやって区別してるんでしょう?ということですね。
このボーダーラインは難しいよね。数年前から私は耳鳴りで、ちょっと違う音を拾うことがあって、それは脳が勝手に変換しているなあ、というのはわかるんです。顕著なのはシャワーの水音が人の声、それもどこか遠くで鳴っているラジオの人の声に聴こえたりします。もちろんなにを話しているのかは不明です。
意味のない音から違う意味を聴こうとしている感じ。私はラジオも聴きませんし、よそのお宅から聞こえるわけでもないです。たぶん耳鳴り(-_-;)
「それってよくあります?」
「いや、シャワーと言っても毎日聴こえるわけじゃないです」
「それで日常生活に困ることがあったら先生に相談を」とのことでした。
いや、実は楽しすぎて困ることはあっても現実対応はちゃんと出来てるんだな。だからいまは問題なさそうです(^^;)
桜の意識、スズメの意識、触れるとすごく楽しいしね。彼らと意思の疎通ができなかったらものすごく寂しいので、病気だとしてもなるべく治したくないです。
双極性障害は統合失調症とかなり近い病気らしいです。うつ病よりも近いとか。だから意識的にそれも観察していますが、私は根がおめでたいのか、「誰かの声」も悪いものではないんですね。まあ、それはサポートしてくれるイマジナリー・フレンドがいまだに存在するくらいですから。
無意識が勝手に悪夢を良夢に変換していたりするから。最近は悪夢どころか夢自体をほとんど見ないけど。でも眠りの中でかなり深層にダイブしている感覚はあります(^^;)
自分を支えてくれる多くの肉体を持たない存在と共に生きている気がします。彼らとも共生しているから、私に対しての悪意ももたないようです。
「ボーダーが曖昧だから現実をしっかり生きるのが大事なわけですね」
ですよねー。お互いがお互いを生かす関係。病気ともそうですが、とても貴重な体験をさせてもらっていると思います(^^) だから病気を憎んだこともありません。大きすぎるハンデだけどさ(^^;) 魂に対する負荷でもあるから、鍛える役割もあるのです。
ヘルパーさんのことも話してて、私は運動のための運動が大嫌いだし、なにかのついででないと出来ないと思う。だからこのカートを買って歩いて買物に行かざるを得ない用意しようとか、冷凍庫を買って篭城も可能なようにしました。と言ったらウケてました(^^;)
頭を使って、身体を使わざるをえない方向に持って行く工夫ですね(^^;)買物行かないわけにはいきませんし(^^;) あのショッピングカートはいいと思う。歩こう、強引に。
母が60歳の時に膝変形関節症になって、一時歩けなかったんです。それから氏神様にお参りしてお水をいただく45分コース、毎日近所のおばちゃんたちと10年くらい歩き続けました。負荷がないと筋肉も駄目になるしね。母は世間話が楽しかったんだと思う。一石三鳥くらいの効果だったね(^^;)
人以外の意識が飛び込む話を作業療法士さんにしていたら、「それで日常生活に困ることがあったら先生に相談を」とのことでした。いや、実は楽しすぎて困ることはあっても現実対応はちゃんと出来てるんだな。だからいまは問題なさそうです(^^;)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年3月30日
桜の意識、スズメの意識、触れるとすごく楽しいしね。
言語のもどかしさ
戦争がずるいのはどこかにそれで儲ける輩がいて、
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年3月29日
指示する人間はずっと安全圏にいて
前線に立たないこと。
子供や病人や女性が真っ先に矢面にたたされること。
とりわけ子供たちの生命が脅かされる以上に
許せないことがあろうか、と思う。
昔、「ソロモンの指環」を読んだ時、動物は争うけど、それはテリトリーを守るため、あるいはメスを獲得するためで、相手を死に至らしめるほどのことはしない、とあったので(たぶん)無駄な殺生をしないのは人間よりも動物の方が偉いじゃないか、と思った記憶があります。
それ以降、よほどの理由がないのに相手を死なせるほどの暴力というのは人の傲慢さではないかと思っています。その最たるものが戦争だよね。お互いの国民がやめて欲しいと願っているのに犠牲者を増やすのはもう人の善なる部分じゃないでしょう。