弟の自殺願望について
水曜日、私の担当の訪問看護師のYさんが、私の話のついでに弟の自殺願望のことを聴いて、案じてくださったみたいで、私の疲労度も気掛かりだったからか、昨日は弟の担当の看護誌Sさんが来られていつもより長めに話して行かれました。Sさん、もう年末からいろいろと案じてくださっているのはわかってて、申し訳なくもありがたかったです。
私はもうプロに任せておこうと思って自室にいましたが。YさんもSさんも我々よりはまだ若い男性ですが、そこは実務経験があるから。
具体的な話の内容は知りませんが、帰られる前に聴いたところでは、Sさんの目前で弟は抗酒剤を飲んだそうです。まあ、あれを飲んでたらアルコールは不可ですし。もらっておきながらやめて飲んでたみたいです。
で、最悪の事態がいろいろ想定されるようなことになったら「迷わず救急車を呼んでください」と。精神科の救急もありますが、総合病院の救急もありますし、そこは救急隊員さんと相談の上で。
「私も寝てたらわからんから早めに起こして」と言っておきました。ようするにこれは精神安定剤になるんですね。パニックの時は私も覚えがあるので。存在意義を肯定することがやっぱり必要なんだなあ。それゆえに改善も早くなりそうだと私も判断しました。
昨日買物に行った時に、横を通った14階建てのURの団地を見てて、やっぱりみんな少しでも高いところから飛び降りるんだなあ、と思わず幻視してしまったりして。事故物件サイトには一度ではない過去の出来事が記されています。14階、高いよね……。下から見上げてみても高いよね。
かの小学生殺傷事件の犯人もそこから飛び降りています。なんか因縁がある場所です。まあ、昼間はそういうのを背負わずにすみますけど。明るいし。
真剣に対応を考えた
で、Sさんと話していて、「ご本人にも言ってあります」と聴いたので、まあ、逆にそういう話だと滅多にそういう悪いことは起きない可能性が大きいと確信しました。まあ、なにかあったらそういう対処をすればいいや。
「泣かないでください」(え?私、泣いてる意識も感覚もないけど……)はっきり覚えていないけど、なんか言って欲しかったことを言ってもらえて安堵したような気はします。それがどういう言葉だったのかは記憶にないんですが……。感情が高ぶると泣けたりするけど、わりと静かでしたし.、特に悲しんだりはしてないですが、そう見えたの?
「必要なのは薬やアルコールではなくて『人』です。人の言葉です」と言ったのは確かです。昨日のブログに書いてたね(^^;) まあ、私には特効薬っぽい感じですね。
月末の受診に備えて先生宛にレポートというか、手紙と言うかを書いてくださるようですが。
主治医の先生と弟はいまいち相性が良くない感じですが、それも仕様がないですね。
弟も昨日の午後はよく寝てました。なんだろうな?ひとつの峠を越えたような?ものごとが解決に向かう方向になったのかな?という気がします。あくまでも感覚ですけど。
ひとまずはSさんに感謝しています。まだ若いけどね(^^;) やっぱり最良の薬は人だと思う。全体的にいい方向に向かうことを願っています。そうすれば他の問題も片付く気がします。
私自身もいつも誰かのお薬になれたらいいなあ、と願っています。人を殺すのも言葉ですが、生かしたり元気にさせるのも言葉だと思います(^^)
これは一考の価値あり
先日、定年退職を迎えた方が「若い人たちに伝えてほしい」ということなので、お伝えしますね。「不安があって眠れない夜は大きなテディベアを抱くと良いですよ。僕は恥ずかしいけれど、この方法で不眠症がびっくりするほど解消したんです。人には絶対に言えないけれど、誰かにこっそり教えたくて。
— 占い師と弟 (@uraotoworld) 2022年1月12日
毎夜毎夜明け方まで起きては人生について悩んで苦しんでいた僕が愛らしく大きなテディベアのおかげで良質な眠りにつけるようになったなんて誰が想像できるかな。」とにこやかに話してくださいました。
— 占い師と弟 (@uraotoworld) 2022年1月12日
もともとテディベアは男の子のために作られてるから、不安を和らげる意味で疑似アニマルセラピーになるのかも。
この間精神疾患の患者さんが猫を飼ったら不安が薄らいでデパスを飲む頻度が減ったと言われてたし。毛玉の効果なら動物飼えないならベアでもいいのかもね(^^)
猫の話の時にも癒やし効果を考えてました。
父も最期まで、小さなタオル地のクマを握り締めていて、それを棺にも入れたくらいですから。 私は心と頭の中にそういう存在をたくさん持ってるけど、慣れない人は象徴として手触りのあるものがいいのかも(^^)
以前、新聞の相談にもあったけど、夫がいい年をしてますクマの縫いぐるみを大事にしてて気持ち悪い、という妻が最相葉月さんに気持ちよく斬られてましたが、他に女の人を作るわけでなし、嫌だなあ、デリカシーのない女、と思ったけど、おお、全部が繋がってきたぞ。また弟にも相談して見よう(^^)
ちょっと心に引っかかったことがずらずらっと繋がっていくのって快感だわ。軽躁でもないのに(^_^;) でも私の意識にヒットするものは大抵あとから意味がわかります。会話でもそうだから、人との関わりは疲れても楽しいのよね(^_^;)
自分らしく生きてると罪悪感ってなに?と思う
うつ病の一番の敵は罪悪感だと思う。働けないことへの罪悪感。人の役に立っていないことへの罪悪感。自分の目標を達成できないことへの罪悪感。そして楽しむことへの罪悪感。でもね、罪悪感があるうちは回復は難しいと思う。もっと自由にしてもいい。楽しいことを見つけて病気のことを忘れちゃおう。
— じゃどさん (@judsan12) 2022年1月13日
私にあまり罪悪感がないのはもともと「私は私、人は人」という意識が強いのと、両親の介護を頑張ったのと、その過程でえられた公的支援の知識などを現在悩んでいる人にわけてあげられるからかもしれない。絵も描いてるし。おかげで役に立たないとは感じないんですよね(^^;)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年1月13日
アドラー先生もこうおっしゃってますし(^^) 自己満足でいいのよ。自分がやってきたことは自分が一番良く知っています(^^)
共同体感覚を高めるためには「貢献感」を感じ、自己信頼を高めることが不可欠です。しかし、だからといって感謝されることや、ほめられる必要はありません。たとえ全員から無視されたとしても「貢献感」を感じることは可能なのです。
それは一種の自己満足です。「自分は正しいことをした。誰からも認められないが、誰かの役に立つことができた」。そのように自分一人で感じることが、最も正しい「貢献感」の感じ方なのです。相手からの感謝や評価がないと貢献感を感じることができないとしたならば、あなたは常に相手に依存していることになります。相手がほめてくれなかったら、相手に怒りを感じるでしょう。そして感謝を求めてしまうでしょう。それは、本物の貢献感ではありません。本物の貢献感は、相手に依存しない、自己満足でいいのです。
「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人をとがめず我が誠の足らざるを尋ぬべし」西郷隆盛の言葉です。人から認められることや感謝されることを求めずに天=人としての正しい道だけを見て行動しなさい、というメッセージはアドラーの教えに通ずるものがあります。また、儒教の古典『大学』の中には「慎独(しんどく)」という言葉があります。これもまた、人の目を気にせずに、誰も見ていなくても正しいことをし続ける、という意味です。幸福に通ずる道は東西共通なのだとわかります。
やっぱり天の視点なんだなあ……。