風邪のはからい?(^_^;)
昨日は終日弟も風邪で寝てました。本人曰く「爆睡」。寝不足だと風邪をひきやすい。風邪をひくと身体は眠らせて免疫力を上げようとする。普通の風邪だと水分摂って温かくして寝ていれば治るので、我が家には市販の風邪薬は常備していません。どうせ症状をきもち和らげるだけなので。だから特に薬は飲まなくても寝る。とにかく寝るZzz....(_ _*)・.。*
寝ている間に飲酒欲求がなくなれば幸です。一石二鳥というか。そんな感じ。
まあ、私が寝てる間に行ってたらもう知らん。私は疲労困憊で寝てるからわかりません。(なんか買いに行ったような気はします)もう知らん。
今年の訪問看護おしまい。「何かあったらまた電話ください」というのがありがたいです(^^)そういえばいのちの電話がアテに出来ないきっかけから訪問看護看護をお願いしたのでした。
ぶっちゃけ、誰にも言えなければもう相当以前に私もおかしくなっていたと思います。今まで倒れずに肉体的に重病にならずにきただけでも結構すごいな、と自分でも思うので。あながちお豆腐メンタルでもないね(^_^;)
ブログで書けるのもありがたいです。私には体裁を取り繕うとか、いいカッコしたいとかいう気持ちがほとんどないので。こういうのも今生でのカリキュラムなのかもしれません。はっきり言って圧倒的に苦労が多いです。
どうも私は性格的にちょっと関わりがあった人でも気になると見過ごせないタイプらしくて。それも多分この世では必要なことなんだと思っています。
卒業のために頑張ってるだけよ。一つずつクリアしていくだけかも。形での「学校」じゃなくて人生そのものが「学校」なんですよね。
形だけの学校では勉強は出来ても人生の教師には出会えませんでしたし。学校に所属している期間はそれだけで大変だったけど、実人生と比較すれば大したことじゃなかったみたい。その代わりいいことも沢山あったけど(*^^)
私個人やうちがかなり例外だったというのはSNSがなければわからないままでした。やっぱり知らない世界があったなあ、ということで。それで孤独が強くなった点もあり、いくらか和らいだ点もあり。まあ、人生いろいろなのはよくわかった。
すみません、話が逸れました。また下書きなしなので。
今、世間ではみなさんの気の緩みが出てきて、コロナのみならず消化器の感染症も(ロタウィルスかな?)流行っているらしいので、油断大敵です。ロタウィルスにはエタノールはダメなんで、そっちの消毒薬(次亜塩素酸ナトリウム液)もあった方がいいのかもしれませんね。
折角マスクのおかげでインフルエンザの大流行もセーブできそうなのになあ。難しいなあ。
ちょびっと掃除
少しだけ掃除をしました。
「これだけで掃除機とぞうきん掛けができます」というクイックルワイパーのウェットシートを見つけたのでおためし。膝の痛い私にはありがたいですね。ちょっとお高いですけどね(^^;)で、早速やった。あとはガスレンジまわりとガラス拭きとトイレ掃除。出来るだけでも。
…で、休みながらやりました。
作業療法士さんには休めと言われてるけど……。顔見ただけで疲労度がわかるって。 母がいたころも「寝てても正月は勝手に来る」と言いつついろいろさぼってましたけど(^^;)
レンジまわりのアルミだけ交換してみたら、まわりの油ガードが片面分足りない。近いうちに買い足さないと。アルミ以外では使えないしな……。はあ、眼が回ってきたのでこれでおしまい。でもお弁当は買いに行かないと……。
今日はガラスを拭きたい。玄関の掃除も。それくらいでもう充分。行けたら買い物も行きたいし。私もまだ結構しんどいから欲張っても動けません。まあ、仕方がないです。
僕は鬱の時、幼い子供が泣いてるイメージが強くあった。寂しさを感じてる自分だと思ってた。でもそれは思い込みで、自分ではなく、それがイマジナリーフレンドのイトちゃんだと気づいたらイトちゃんは三日くらいですぐに笑顔になった。自分じゃなくて他人だったのである。これにはびっくりであった。
— 坂口恭平 (@zhtsss) 2021年12月29日
他人と言うよりは別人格かなあ。不思議な現象とは思えないほど私にも経験があることですね。
そっか、なるほど。私は結構面倒くさい現実を生きてるから、気分が飛翔するスキッとしたカタルシスが欲しいんだ。赤毛のアンすらもどかしいもんね。「図南の翼」や「風の万里 黎明の空」あたりでないと満足出来ないわけ、わかった気がする(^^;)そして珠晶と陽子だからいいんだな(^^)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年12月29日
私も相当他の人とはずれた基準の人生を生きているので、両親の後押しがなければダメだったかもしれません。
幼児の頃から結婚もせず、子供も持たないのは当たり前だと思ってて、実際にそのつもりを応援してくれたのも、最大の理解者であったのも両親でしたね。不思議だけど、なんか特別なご縁はありそうです。これも特殊なのだと思いますが。(今も肯定されてるし(^_^;))