いきなりブログを書くのは懲りたので
Twitterをメモの代わりにして呟いたこと。すみません。昨日は何も考えないで寝たから(^_^;)
お付き合いだけでは流されない私。会社の行事もほぼ断ってきましたが、昔、身内の付き合いで某新興宗教の本部まで行き、話を聴いて実技を受けたけど「すいません、やっぱり入信はやめときます(そこに神を感じないし)」(お金儲けは感じる、建物立派すぎ)と断りを入れて帰ったけど特に揉めもしなかったですね。
でもああいう場面で断れない人の方が多いだろうなと後で思いました。私は納得出来ないことは拒否する方なので。
去年も別の宗教関係の人に引っ越す時に新住所教えて、と言われたけど、黙って引っ越してしまいました。政治とも関係が深いところでしたし、正直ほっとしたなあ、と(^_^;) 選挙の前にお願いに来られるのも嫌なので(ーー;)
自分の意志ではない方向にも流されるよりも人の縁を切る覚悟で嫌なものは嫌と言う。でも案外それで揉めることは少ないかな。きっぱりした意思表示は大事だな、と思います。もちろんうなづけるものはありがたく学ばせていただいております(^_^;)
同調圧力に屈しないけど、案外それでもなんとかなっている気はするかな。
私の目的は「納得解に至る人生」だしね(^^)
他人のためじゃなく「自分が納得して終われる人生」。その中に「他人にも喜んでもらえること」があるのはもちろんかまわないのです。でもまず自分が納得出来ることが最優先なんだよね。自分軸がないと揺らいでしまう危険はあると思っています。
他人との距離感
まあ、こういう価値感でいると他人の選択も大事にしたいから、その人の意志を尊重します。いろいろな危険が想定される場合もありますが、それがご本人も意志ならそこそこ大事にしたいですし。
それで手が届かない距離が出来たとしても仕方がないし、遠くで幸せを祈るしかない。それでも続くご縁があるのはありがたいです。自分も相手も尊重する為に自分は強くいなければ。
こういう価値観の延長に独自の死生観があるのかも。亡き両親についても近い感覚で、必要な時は応援も励ましも感じるし。孤独に負けずにいられるのも彼らのおかげだし(^_^;)
神仏なども端っこは個人の中にあると思ってるしね。生きた人間の肉体を借りて顕現されるというイメージは楽しいな。(大西良慶さんの言葉はよほど腑に落ちたようです。40年以上経っても今も鮮やかです)
誰もが皆、世界の一部で、同時に世界の中に含まれるから、どこかでは繋がっているとは思うのですよ。たとえば潜在意識の中で。
私の意識の距離感はミクロとマクロを自在に伸び縮みしているようです。それでも消えない孤独は人が人であるために必要なものなんだろう。
かこさんの漫画で距離感について思う。
今はコロナが最も懸念される状況下で、日本中が不安定な状態だと思います。
— KAKO (@isinnkodesu) 2020年11月27日
またステイホームが始まったら、家族でこもる事も多くなりそう。だからいま一度、家族の「優しさ」について考えてみました。
甘えすぎていないか、私も反省しつつ描いてます😅 pic.twitter.com/ztN6CWzrjF
自分の親とは仲が悪いし、介護の仕事で利用者さんには優しくしているけど、親には出来るかどうかわからない、でも巡りめぐって知らない誰かが親に優しくしてくれたら本当にありがたい、とおっしゃってましたが、そういう気持ちのグルグル加減もわかるなあと思います。みんなが優しく慣れたらいいね(^^)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年11月27日
その気持ちは痛いほど分かるわ!私も親とは確執があったでしょ。だから私は表面でしか接しないんだけど、施設の方が父親に優しくして下さると聞いたら、安心したりねぇ。子供でも自分は怒っても、他の方が怒るとムッとしたり 笑笑
— KAKO (@isinnkodesu) 2020年11月27日
正直に話すと、みなさん一つ位は、そういう気持ちの経験があるのね😅
こういうのも「慈悲」かもしれませんね(^_^;)
慈悲には想像力も必要かな。
1日に何度も横にならないとデスクワークも続かないし、買い物から帰っても横になってるとか、書かないからきっと元気な人には想像できないだろう。だから病気じゃないとか言われたりする。同居の家族でもなければ真実はわからないんだけどね。そこまで詳しく書かない事実がたくさんある。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年11月27日
久々の杏珠さん。
手にした赤い布は実は襦袢の帯でした。きちんと着物を着せて余ったので、強引に領巾にしてしまいました(^_^;)