今週のお題「会いたい人」
軽めの蜂窩織炎?
昨日、予定通りに内科を受診しました。
蜂窩織炎でも軽い方だという診断だったようで、抗菌薬は処方されず、炎症を鎮める薬と利尿剤をもらいました。まあ、むくみがましになると炎症もましになるかも…。
36.9℃は私の場合は夏の微熱っぽいですね。
薬剤師さんが「あまり薬を使いすぎると耐性菌が出来やすいですしね」とおっしゃっていましたが、最近はどこでもフロモックスだったりするもんね。10日分もらったので、飲んでみます。
受診→スーパーで買い物→ドラッグストアだったので、結構疲れてお昼前にも午後からも眠ってしまいました。南と北の窓を開けると気持ちのいい風が入ってきます。これがすごくやりたかったんですよね (^_^;) だから網戸を作ってもらった次第です。自然の風に吹かれて眠れるように (^_^) 車の音がちょっとうるさいですが、気にしないで寝てました。
昼寝も出来る時は眠って、体力をつけたいですね。
痒い…。血行がよくなると蜂窩織炎のところが
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月11日
めちゃ痒い。けどかいちゃいけない。
辛い(>_<) 痒い…(>_<)
本当は皮膚科を受診したいのです。でもこの辺いい皮膚科がなくて、新規開拓するか、前の家の近くで皮膚科受診するか悩んでます。温まると痒いけど掻けないし、というのも辛いんですよね(-_-;)
12日朝に追記;
起きてみたらかえってひどくなっている気がするので、6年前にお世話になった皮膚科の先生に診てもらってこようかと思います。素人判断でもやはり抗菌薬は必要な気がして…。痒いだけじゃなくて痛い (/_;)
前の家の近所なので、タクシー代はかかりますが(片道2000円くらい)、このさい仕方がないです。もっとも確実なことだと思えてきたので…。診察券もあるし、信頼出来る先生だし。、また半日がかりですけど…。
会いたい人たち=亡き両親
さて、いつもほとんど気にしていないブログの「お題」ですが、今日はふとひっかかった「会いたい人」について。
これはもう、亡き両親にきまってるやん (^_^;)
いくら悔いがない介護を完遂しても、リアルで話したい時ってやっぱりあるからね。死ねばまた会えるんだけど、たまにはなー、とは思います。
でも私は常に存在を近くに感じているので、喪失感で立ち直れないというのはあまりないですね。
私はそもそも生まれつきあっちの世界の方に近い場所にいる感じだから、魂だけの状態にあまり違和感がないんだな。だから身近な人々の死が深い喪失体験にならないのかも。
ずっとメメントモリで生きて来ているし…。送り火の夜に生まれたから帰っていくご先祖に頑張れよ、と送り出された感があります(^_^;)
でも私はあまり生まれたくなかったようで、陣痛微弱で24時間経っても生まれないので、先生が母のお腹の上に乗って押されたそうです。で、生まれたら臍の緒が2重に首に巻いてて泣かなかった。だから叩くかなにかの刺激でやっと声を上げたという母の証言(^_^;)
母が産室にいるあいだ、廊下で待っている父は蚊に刺されまくって、母の声が聴こえるのに同調して腹痛を起こし、トイレ通いをしてたという…(^_^;)
そういう親から生まれてるのできちんと介護して送るのも当然でした(^_^;) エンパス親子です(^_^;)
幼児期に人生の目的を悟るというのも珍しいケースかもしれません。
今も両親の気持ちはよく感じます。天国からのメッセージを伝えるカードがあるらしいですが、多分もうそういうのがなくてもわかる気がする。
最も家の件ではバケネコさんのタロットにすごく背中を押してもらいましたが(^^)
で、渥美ゆうきさんのキーホルダー作っていただいて、アドバイスのとおりにエタノールで新居の拭き掃除もしました。
転居前に両親のミニ祭壇と掃除道具だけを持ってきて、一人で話しかけながら拭き掃除してたんですよね。普通に話しかけてた (^_^;)あ、この祭壇ごと写真を持って全室見せて回ったりもしたな…。
鍵をもらって最初に弟と来た時、二度目の掃除の時、照明もないけど、この部屋がものすごく明るくて暖かくて、きらきらしてて、歓迎されてる感じがいっぱいでした。
そのくせ後で見たらあの明るさが写真では写っていないという、なんだろうね、あれは?弟も体感してたから気のせいじゃないんですけどね。写真にうつらない「なにか」は確かにあったと思います。
追視するスナップ写真
あと、ミニ祭壇は私の机の近くのラックにあって、毎日何十回と側を通るんですが、それで最近気が付きました。両親の写真、なんでもないスナップなんですが、追視してるなあ、と。いわゆる八方にらみと言うやつですね。こちらの移動を視線が追いかけるのですね。
有名なお寺の天井画の龍とか、鳳凰とか、談山寺の藤原鎌足像とか、それから故人の遺影、葬儀などに使う遺影などは錯視のメカニズムを利用して視線が追いかけるようになっているそうです。ドールなどでもドールアイの構造によってはそうなるようですが、うちの子は違いますね。
この写真は私が加工したんですが、具体的にはツアーバッジを消して、コントラストを少しいじったくらいで、顔にはまったく手をつけていません。でも気が付いたら追視になってる…。前の家では置き場所が違ったから気付かなかったし、最近のことかもしれませんが…。
まあ、ええわ。そこにいといてくれてええよ。処分した仏壇がほぼどこでもドアだったからなあ…。このミニ祭壇もそうなっているのかもしれません。ご先祖の過去帳もニューギニアの海岸の砂も入ってるし。
会いたい、のは出来れば夢だと嬉しいな、と思います。しばらく前に父が11年ぶりに夢に出てきてくれたけど (^_^)
近いけど、眼に見えないのはちょっとだけ物足りないかもしれません。まあ、存在もサポートも感じているからいいんだけどさ (^_^;)
いつかくる「その日」を楽しみにしていたいと思います (^_^)
私は頭で絵を描くタイプではなくて、イメージが降りてこないと、映像が浮かばないし、描きたくても描けません。だからいつもお絵描きの神様を待っている次第です (^_^;) それがいつその時が来るのかまったく不明で困るんですが。現在スランプというか待ちぼうけ中です (ーー;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月10日