タイミングが悪いau
昨日、しつこく易者のおじいちゃんに「日曜日は出掛けちゃ駄目?」と尋ねて「やめとけ。ロクなことにならんから後悔する」と言われたので、大人しく家におります。
なんかこの易経って、シンプルな質問だとバチッと言い当ててくれるから気持ちが良いです。特にどっちにしようかと迷っているような時はね。気持ちよく心の整理が出来る答えをくれます。
だから、易のアプリがあったので、スマホにも入れて見ました。
昨日、auから電話がありました。ここの団地はauと、あとからわかったことですがNTTと両方が通っています。違約金払うのいやだからauのまま使っています。
そのauからスマホ勧誘の電話が来ました。何度目かなあ。いずれにしてもタイミングが悪いのですよね。私はもう15年以上DoCoMoユーザーで、おまけにショップが徒歩数分のところにあるから、迷わずにDoCoMoにしました。
まあ、弟が短期入院して検索したいのに必要だなあ、と思ったのが最大のきっかけですが。必要にせまられないとやらないもん。
でも実際に持ったら「電話とメールが出来るタブレット」という認識にはなっています。料金的にはDoCoMoでもauでも同じだし。
男性って不可解だ (ーー;)
昨日、Twitterで知らない男性とやりとりしていて、いまいちよくわからなあ、という結論になったことがありました。
お名前伏せてやりとり載せてみますね。(何名かの方のご意見を載せています)赤字は私の質問です。
女性からよく不思議がられるんだけど、(あえてデカイ主語ですが)男性って自分の価値観に合わなかったり理解できないことに出会うとなんで思考停止したり不機嫌になったりするんだろうね。
当方男性なんだけど、言われてみると「たしかに」と思う。
理解できないことに出会うと戸惑うのは男女関係ないと思うけど、その後のステップには性差があるように見える。
女性は理解しよう調べようとするのに対して、男性は脳のフォルダ名「わからん」に放り込んで終わりにしがち。
上の2ツイートの内容について、これは人という生物種の雄にひろく見られる習性なのか、日本という地域独特の歴史的慣習から来る男性への刷り込みなのか。
先天後天どちらもありなら、より優勢なのはどっちなのか。
今更だけど気になってる。
「私の場合、わからない事に対しては好奇心むくむくわいてくるタイプなんですが、わからないことをわからないままにしておくのって気持ち悪くないですか?単に面倒くさいだけとか?」
「今わからない」ことが怖い、です。なので女性同様調べますが、その調査の動機が「わくわく」ではなく「知らないと殺される」になります。調べる男性はそうなり、調べない男性はそのこと自体を無かったことにしたい(割く時間やリソースが無いなど)、のではないかなぁと。
「知ってる/知らない」が「勝った/負けた」に直結しやすいんです。
たとえば趣味仲間から「お前そんなことも知らねえの?」と言われるのはグサッと来ますし、それが度重なると「知ることの楽しさ」が「知ることへの必死さ」に変わりがちですね。
そうなんですか。私はあまり性差自体を意識していないので、わからない正体がわかると怖くないなあ、と思いますが…。その最初の苦手感が異性のきょうだいがいると少し低くなるような気もします。「未知の生物」って感じじゃなくなるし… (^_^;)私だけかな? (^_^;)
知識や情報についていうと、「知らない」ことの敗北感は正直ストレスです。
知るワクワクを意識してはいますし、楽しめてもいるんですが、ふとした時に勝った負けたを気にする癖は未だに直りませんね。
男性は基本的に生きることは闘いだと思っていて、負けそうなときは必死に防衛する意識が働く。自分も弱点つかれると、好戦的なコミュニケーションなる気がする。
自分の生活や価値観に直接影響を及ぼさないテーマであれば、余裕持って受け止められるのだけど。
あのー… (ーー;)
「知らないと殺される」っていうのはなんだろう??バンジージャンプみたいな?
私個人は「知らないことを知る」のはいつも好奇心に満ちたワクワク感を伴うので、知らなくて悔しいとかあんまり思ったことないです。個人的に知っている女性の方々が非常に優秀な方々であることもあるし。
さらに家族を見ているとそうじゃなくて、知らないことに対して不機嫌になった記憶がないです。父も弟も。わからないことはひとりで黙々と調べていた印象。さもなければ私や母に訊くとか。それが普通でした。
うちの家族はみんなして「知らないことがあっても当たり前。世の中広いし。みんなで調べていけばいい」と思っていた感じですね。誰かとの競争のためではなく、知識欲を満足させるために。「知らないと殺される」なんて感覚どこから来るの??
性差を感じさせない我が家
私の両親は「男だから」「女だから」という育て方はしませんでした。私には5歳下の弟がいます。幼い時、なんでも私のマネをしたがって、スカートや着物を着たりいてたけど、両親はおもしろがって写真を撮る程度でなにも言いませんでした。弟はおのずとその時期を卒業しました。
私が逆に弟のおもちゃのダイヤブロックにはまったこともあります。レゴと同じですね。なんでも作れる楽しみを覚えて、弟と2人で架空の国を作って遊んでいました。甥っ子が幼いころに精密な迷路を描いていたのを思い出します。男の子ってそういうのが好きなんだなあ、と思いました (^_^;)
弟に家事を仕込んでくれたのは元嫁のYちゃんですね。共働きでしたし。私と同じで「やればできる、でもやりたくない」タイプだけど、当時はよくやっていたと思います。いまはたまに手伝って欲しいけど、やってくれないなあ (ーー;)
一家の長より、私が大黒柱のほうが気楽だと思ってる感じ。いいけどさ。
うちってあんまりステレオタイプじゃなかったかもしれません。みんなしてあまり身体が丈夫なほうじゃないから、無理しすぎないように、が第一だったし。競争社会は他人事みたいな感じ。でも弟はパワハラで体調崩したし。
競争社会嫌いなの。アスリートとか勝負師がある特定の期間に勝負をかけるというのはいいんですが、一般人はそういうのにこだわらない方が幸せだと思っています。で、そういうのには性別あんまり関係ないんだよね。収入の差とかはありますけど、それは是正されて欲しいけど。
性差にこだわらない育て方をしてくれた両親には感謝しております (^_^;) 感じる幸福の範囲がすごく広くなるからです (^_^;)
そして知りたいのはどこまでも自分の知識欲と好奇心を満足させるためよ。だって勉強は楽しくないと頭に入らないもん。
心理学を学ぶ気力復活してくれないかなあ?? (ーー;)
私は他人と比較も競争もしないので、「誰かと比べるゴールのない虚しさ」と縁がないのですね。病気であってもそれがあまりマイナスとも感じないし。他人と比較しない自分らしさってすごく楽で幸せだと思います。
それって4歳の時から自覚してて目指していたものなんですが… (^_^;)