「コーチング」というそうです
またまたTwitterの中から拾った話題です。
いちは先生、まるまる引用しちゃってすみません。
あるコーチングの本によると、思考は話し言葉より40倍から80倍の速さで流れ、言語化しないと頭に残らないらしい。
— いちは🍀 (@BookloverMD) November 16, 2019
診察室で「ゴチャゴチャ考えすぎる」と言う人は多いが、「ゴチャゴチャ」には具体性がない。
言語化していないので、悩みはただ流れ去り、「いっぱい悩んだ」という形跡だけが残る。
精神療法やカウンセリングは、この「ゴチャゴチャ」を言語化することに役立つ。
— いちは🍀 (@BookloverMD) November 16, 2019
というより、言語化できた時点で悩みの解消につながるケースも珍しくない。
精神科で勧める日記は、主治医が読んで分析するためというより、頭の中の「ゴチャゴチャ」を言語化するトレーニングという意味が大きい。
— いちは🍀 (@BookloverMD) November 16, 2019
「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」
— いちは🍀 (@BookloverMD) November 16, 2019
これらは患者さんが「いっぱい悩んでいる」ことを伝えるために用いる表現。
診察室では、これらを具体的な言葉にしてもらうよう促す。
また、日記などを通じて日常でもそういう訓練をしてもらう。
精神科医に勧められて日記をつけ、
— いちは🍀 (@BookloverMD) November 16, 2019
「一生懸命書いたのにサラッとしか読まれなかった」
とガッカリする人がいるかもしれない。
これは日記を勧めた医師の説明不足である。
日記は医師のためではなく、自分の悩みを言語化するために書くのだ。
「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」
— いちは🍀 (@BookloverMD) November 16, 2019
こうした「頭の中の悩みごと」は、夜道を独りで歩いているときの暗がりや正体不明の音みたいなものである。
ライトを当てたり音の正体を確かめたりするだけで、「なぁんだ」と楽になることも多い。
こうして考えてみると、ツイッターで悩みを言語化し、具体的なグチを書いている人は、悩みかたとしてかなり洗練されているのである。
— いちは🍀 (@BookloverMD) November 16, 2019
あれ?これって私もやってるやん、と思いました。
私のブログはたぶんこのごちゃごちゃで出来ています。だから15年経っても読み返したら記憶や思考がリアルに蘇るので、それだけでも続けてきた意義を感じます (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) November 16, 2019
8700本以上の試行錯誤の記録ですね。で、結構すっきり整理されていってます。解決の糸口になることも多いです。
ブログ継続って、お金とかは無関係で、セルフカウンセリングが出来るようになったりとか、かなりの収穫がありますね。地味だけど。でも続けるとそういう効果があったんだなあ、と自分でもわかります。
いいのは明らかなんだけど、でもみなさん続かないんだよね〜 (*-д-)-з ちょっとこれはお金には換えられない収穫なんだけどね。
私の場合、これいいかも、と思ってずっと前から続けていることにあとから名前がついたり、そもそも名前があったことにあとで気付くパターンがかなり多いんですが、気付いた時点で相当継続の成果がでていたりします。地味だけど、確かに役には立ってます (^_^;) 自己啓発本はほとんど読まないから。
運の良さも自己暗示って本当かなあ? (^_^;)
私はつくづく運がいいと思います。人に対するご縁と関わりの。17〜8年同じクリニックの先生にお世話になってて家族ぐるみ理解されているありがたさとか。そういうのもお金に換えられない大切なものです。
精神科看護も介護関係の方々もいい人ばかりに出逢うと思う。まず人間関係ありきだからやはりすごく幸運で幸せだと思うのね。最初の印象も変わっていくから面白い。
住宅供給公社なんかも一番最初に電話した応対が最悪でした(-_-;)
だからやだなあ、と思ってたけど実際にお会いするとそういうのではなくて、担当の方は親切で意外でした。それが良かったのね。お会いして話してみると違うな、という発見があるから面白いです(^_^;)
そういうふうに自分が変化するのも外から目線で見ているとやはり興味深いです(^^) カウンセリングとコーチングは繋がりが深そう。
私は昔から自分自身を観察&分析するのが楽しいのです。自分がユニークだという自覚があるから、もっと知りたいと思ってしまう。興味深い対象です(^_^;)
世の中は私の教室
実は私の学びの場所は学校ではなくて、社会の中なんですよね。出会う人すべてが先生で。それでなにかを学べるから人と出会えることが楽しいと思えます。
教師との相性が悪くて、過去にあれだけ嫌いだった学校ですが、いまは生活そのものが学びの教室みたいな感じ。こちらはかなり楽しいです (^_^;) 日々生涯勉強だよね(^_^;)
いろんな学びがあるもんだと思います。一人として同じ人っていないから。これでも悩む時は真剣に悩んでるんですが、山を越えるとスッキリしちゃうので…。
私にとって激しい感情はちょっと憑き物みたいに感じることがあります。だからとことん味わって突き詰めると、ある一点でふっと醒めて自分で納得して波が穏やかになる。
だからその過程を経ると落ち着くまでの勝負が早いですね。やはりもやもや燻るとろくなことがないのだ (ーー;)
夏ごろにくじ運が悪いとか、色々煮詰まっていましたが、なんとなくスムーズに行きつつあると、やはり感謝の気持ちになります。
伝えたい人が引越しをきっかけに数十人はいらっしゃるというのも嬉しい限りです。ハガキやメール、手紙や品物で伝えたい人はかなり多いよね。まあいい機会ではありますね (^_^;) 手間暇さえかければ伝えることが可能なんで、頑張ります (^_^;)