少しずつ動いてはいるのね
昨日は慌ただしい一日でしたが、なんとか無事に終わってホッとしています。また内科に行かないと薬が切れるなあ。今日か明日に行けたら受診しよう。来週はクリニックですし。
あ、今日は午前中に不動産屋さんが来られるから駄目かなあ… (*-д-)-з 買取の試算だと思いますが。なんとなくこれは気が重いなあ…。いろいろと人の出入りが増えています。横になる暇がないです。
このごろは伝えたいことがたくさんあるので、受診のつど、メモにして行くのが通例になりました。前もって要領良くまとめておけるし、話し忘れもないしね。箇条書きに近いのに、ほぼA4の紙が埋まる不思議… (ーー;)
午後に作業療法士さんが来られて初めて冷房を入れました。
陰干しした洋服をタンスにしまいました。血圧は120/72ですごく正常。なんか身体が正直すぎて笑えます(^_^;)
このあいだまでの150を越える血圧はやっぱり気にしてたせいかもね。それと気温が上がって、血管が拡いたのもあるでしょうね。薬を飲まずに様子をみて正解な感じ。
いつも夏になると厳しいと言っているので、みなさんすっかりご理解いただけて助かります。ヘルパーさんにまで周知になってるし。まあ、雑談するから自然と伝わっているとは思いますが。
くじ運まかせ
市営住宅の抽選番号お知らせのハガキが来ました。倍率とか見当もつきませんが、来週の木曜に抽選。結果発表は金曜の10時以降にサイトか電話で、ということらしいです。
ダメだったら、来月3日にまた申込書をもらいに行きます。抽選だとどうしようもない。公平ですが。
個人的には自分で勉強して受験みたいな方が結果に納得しそうな気はします。駄目なら駄目で納得出来そうな気がするから。まあ、運は天にお任せですね(^_^;)
ふと、「宝くじに高額当選する」のと「大惨事になった事故や災害から危機一髪で逃れた」のとどちらが運が強いかな?と思いました。
個人的には後者のほうが「なにかに守られている感」が強くて、本当にラッキー、という感じがします。そういえば宝くじに当たるのと、事故にあうのはどちらも悪運だと聞いたことがあるなあ。だから宝くじにあたっても逆に不幸になる人もいっぱいいたり。
そういう悪運を避けるにはやはり寄付するとか、他人のために使うとか(全部でなくても)そういう発想が自然かもね、と思いました。
「作品」は私の記憶媒体でもある
手作りドールドレス発見。これは16、7年前に杏珠がうちに来る前にお迎え用に作ったものです。
そして本人が来てから作った黒の和柄ドレスが最後のお裁縫。
以後まったく縫えなくなりました(>_<) ミシンの前で気力が消滅する悲劇 (/_;)
でもこうして片付けていて、昔の作品を発見すると、作品は記憶媒体だな、と思わざるを得ません。なぜなら見た途端、手にした途端に、それを作っていた時に考えていたことや、着たときのことや、その前後の出来事までいっぱい思い出すからです。
私は記憶力がいいほうではないと思うんですが、こうやって描いたり作ったりしたことは強力に蘇ってきますね (^_^;)
それもどちらかというとプラスというかポジティブな記憶ばかり。まあ、実際はネガティブな記憶があってもおかしくないと思うんですが、そういうものは作品化する課程で浄化するか昇華されていくのかもしれない、と思います。作るのは基本的に「綺麗なもの」だから。
創作のなかにはそういう作用があってもおかしくないと思います。辛い記憶は昇華されていくんですね。
そうやって純化した記憶はやっぱり形になって残る方がいいかな、と。作業療法士さんもマッサージの先生にも言われたので、これは大切に持って行こうと思います。かさばるけど、そういうビデオテープみたいなもの(もっと嵩高いですが)
うちに来てくださる方々はこれらの洋裁作品を見て、技術的なこととか努力とかそういう過去の記憶も感じてくださったので、それでわりと満足な感じ。
またいつかミシンでも手縫いでも出来るようになれたらいいけど、無理っぽいかなあ。だから余計に、っていうのはありますね。
精神疾患の患者をやってると、研究者になったり、修行僧になったり、カウンセラーになったりクリエイターになったりするんだよね。この多様性が自分でも面白いです。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) May 16, 2019
「でも職歴からとか見たら、やっぱり基本的にはアートですよね」と作業療法士さん。はい、でも器用貧乏というやつかもしれません (^_^;)