今回、かなりぶっ飛んだ内容だと自分でも思うんですが、でも正直に感じていることなので書きたいと思います。
始まりはやはりユング
Twitterでちらっと話題になっていた「言語連想検査」というのを検索して、辿り着いた試作のシステムというのをやってみました。これね。
100の単語から連想する言葉を答えていくのですが、その反応速度とか、時間がかかった項目とかで、気づかないコンプレックスなどがわかるらしい(多分)。
やってみたけど、解析が自分で出来ないので、機会があれば詳しい方に分析していただきたい気がするんですが…(^_^;)
私はあまり時間をかけずに答えています。その中で「女性」に対して反射的に「仮の姿」と答えていたところから内観が始まりました。
肉体は仮の姿
私は現在の女性の身体を「仮の姿」と感じているけど、もし男性の身体であってもやはり「仮の姿」だと感じてそうな気がする。
どうも私の中で性別というのはあんまり意味がなさそうです。好きになるときは別にどちらでもありだと思うし。そもそも恋愛と深い友情の区別がつかないなあ。あえて言えば博愛に近いのかも。
身体の特徴や体力や弱点が男女で違うのは仕方がないけど、それで面倒が起きるのはつくづく面倒臭いなあ、と思うのが本音です。
思い返すと今までにお付き合いをお断りしてきた方々には非常に申し訳なかったけど、基本的にこの感覚と価値観が合う人でないとダメだったんだなあ、と思ってしまいます。それが合いそうな人は女性の方が多かったかもしれません。
そもそも「魂に性別はない」というのが私の基本なので。
友達の場合は本気で男女問いません(^_^;)
多分規制の概念にはカテゴライズされそうにない私の感覚。
時々、自分は宇宙人じゃないかと思うことがあります。他の人とはあまりにもかけ離れている感覚が多いので。でも地球以外に懐かしさは感じませんが。
性別と役割についてはアーシュラ・K・ル・グィンの「闇の左手」みたいな世界がいいなあ、と思う。
- 作者: アーシュラ・K・ル・グィン,Ursula K. Le Guin,小尾芙佐
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/09/01
- メディア: 文庫
- 購入: 12人 クリック: 388回
- この商品を含むブログ (103件) を見る
普段は両性具有で繁殖期にだけカップルが出来る。生まれた子供たちは社会全体で育てる。毎回同じ相手と対になるとは限らず、どちらが妊娠するかも体力次第で。繁殖期じゃないときはみんなして働いているという。
非常に平等公平な世界の設定ですが、それでもやはり平和じゃないんだよねー。
両性具有じゃなくて無性だったらまた違う社会になっていたかもしれませんが…。
この作品も随分前に読んだので、細部は覚えていません。すみません。気温が低い世界です。暑いよりはマシかもしれませんが…(^_^;)
敏感すぎるアンテナ
肉体が仮の姿だから、死は「安らぎ」になります。
今の身体は脳が、というか意識が捉えていなくても、かなり過敏なアンテナになっているので、必要のないことにまで反応しすぎて結構辛いです(ーー;) お天気や気圧や月の満ち欠けまで。
身体が先に反応して、脳の意識としての認識が後から来るので、それまではなんでこんなに具合が悪いの?といらない悩みを抱えることになります。どうもこれが生まれつきの個性らしいです。
だからそういう過敏な反応から解放されたら本当に安らぎになるだろうな、と思うわけですね。
もっともだからこそいま、存分に感じていることを大切にしたいことは言うまでもありません。辛くても身体がないと感じられないことだから(^_^;)
精神疾患を持ってしまった方々は「共に生きる」と言う諦念に達するのには相当な期間を要するものですが、その諦念の域に人より早く達した感もあります。
なんだかなあ…。あんまり地球人ぽくないかもしれない、とやっぱり思います。カテゴライズされない人間だと思います。そういう自分は嫌いじゃないけど。
なんとなく気がついた。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) May 6, 2019
遠くにいる親しい人のことを危機感を持って心配すると、いろいろな身体的な症状が現れるような気がする。
これは家族とか目の前にいて状況がわかっていて、具体的な対処が可能な場合はそうでもないのね。やることがわかるから。
おかげさまで現在閃輝暗点もマシになっています(^_^;)