お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

病気とも障害とも共に生きる 受け入れると起きる不思議なこと

 

つぶやきを拾って記事にしてみる

 

本日、ちょっとお疲れなので、Twitterのつぶやきから拾ってお茶を濁します。
すみません (^_^;)

 

昨日、作業療法士さんに片づけ中の部屋を見てもらって、「とてもひと月ちょっとで片付く気がしませんね」というご指摘をもらいましたが、実は私もそうじゃないかと思っております (^_^;) でももうあとには引けないので、やるしかないです。

 

お風呂の排水もまた流れなくなっているし、そちらも不安だけど、もう直すお金もないんだよね… (/_;)

 

 

 

この話、成功するしないよりも幸福感の捉え方に通じるな、と思いました。いつまでも過去のネガティブにこだわるよりもそれを栄養として成長し、越えていく大切さを思います。

 

 

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 病気や障害を個性だとは言わないけど

 


振り返ると私にも確かに絶望していた時期があった。
17年くらい前、朝から本当に動けなくてずっと泣いていた頃。

 

見かねた母が精神科に引っ張って行ってくれたこと、感謝している。

 

病気だとわかって正面から対峙する決断が出来た。その自覚は大きかった。もやもやの正体判明は重要。対策が取れる。

 

訳のわからないものを相手にするよりずっといい。だから勉強した、あらゆる方向から。

 

医学だけじゃなくて。投薬治療と同時に自己分析もやったし、これの延長でセルフカウンセリングも出来るようになった。

 

必要に迫られて両親の介護もやったし学びはさらに広く深くなった。

 

やがて「この病気と付き合いながらあれだけのことが出来たんだから、大抵のことはなんとかなるはず」という妙な自信が出来た。

 

今は成り行きで「家じまい」という大事に取り組んでいる。人生の課題ってほんとに容赦ないよね。

 

まあでも、いままでなんとかなったから、やっぱりなんとかなりそう。

 

後で反動は来るだろうけど、それを恐れていてはいけない。

 

病気というのは負荷なんだけど、それとともに越えることでメンタルは強くなる。
そうなれる人は少なくないと思う。

 

それが意味あることだと気付いた時に人は変われるんだな。

 

多分、人生の終わりに振り返ればもっと大きな意義が見えるんだろうな。

 

私はそもそも他人と自分を比較しないので、病気に対しても劣等感をもつことはない。
もっと人並みに動けたらいいけどそれは仕方がない。
私より自由に動ける人が広い視野を持っているとは限らないしね。

 

自由に行動出来ても心が不自由な人はたくさんいるし。だから病気や障害は必ずしもハンデではないし、それと共に生きることにも大きな意義があると思っている。

 

負けないこと、飼いならそうとしないこと、上手くあしらうこと。まさに共生ですね。気まぐれ猫も愛して生きたいです(^^)

 

 

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お絵描き、いまここです。もうちょっとで線画ができるかな?というところ。

でも今日も片付ける、多分。明日は内科にも行かないと… (ーー;)

 

 

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