「落ち着け」と言われてそうな気がする(^^;)
おかげさまで膝の傷は痛いですが、左足の捻りはましになって、腫れもせずに昨日は買い物に行けました(^^;)
これから、足の筋肉をどう鍛えるかは課題になりますが、某漫画家さんがいってらした「毎日片足立ち1分(ウォーキング50分以上の効果があるとか)。トイレに行くたびにスクワット5回をやっていれば死ぬまで自分の足で歩ける」というのは本当かなあ??もうすでに無理な気がするけど……(-_-;)
Amazonから配達完了メールがきたので、下のポストへ取りに行ったけど、入ってない。玄関ポストにもない。誤配かな?というのでヤマトさんと郵便局に電話したけど違うらしい。ドライバーさんの電話は繋がらず。膝に貼るジャンボサイズのパッドなので、困ったなあ、とAmazonに電話した。
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年3月11日
よそのお宅の郵便受けに入っている可能性があるって。ああ、あり得るかも。集合住宅だしね。代わりに代金送料持ちで送ってくださるとかで、その辺が大会社のフォローだなあ、と思います。明日届くならドラッグストアに行かなくても大丈夫かな。おまけにプライム会費一月分も無料にしてくださるとか。
それもありがたいですが。連絡がつかないドライバーさんがどこの会社の人かは謎のままです(^_^;)いいけどね。 私は運命論者みたいにこういうことにも意味を感じて楽しんでしまうからなあ。いろいろ想像で物語を作ってますね。 おかげで人生が楽しくなりがちです(^_^;)
ばたばたしてるから……
昨夜、財布の中のキャッシュカードとクレジットカードがない!落とした?とカップラーメンにお湯を入れて探すこと十数分。買い物用のバッグの底から見つかってほっとしました。
カップラーメンは伸び切って食べられないものになってました(-_-;) ちなみにタクシーカードも前に同じめに。レジ袋廃止のとばっちり。持ち歩いているレジ袋の下敷きになってました。エコバックに食品を入れるのは嫌なので。
運命思考が辿り着く場所
病気とか障害とか人生の苦難のもろもろを乗り越えたいと思う時、まず「現実をありのままに受け容れる勇気と覚悟」が必要で、それが出来たらすでに1/3くらいは乗り越えている、というのが私の体験と実感です。
受容することは大きな意義がありますね。
私は何事にも意味がある、と考える運命思考がかなりある人間なので、それがいつの間にか自然なことになった感じ。
そうしたら想定するスケールが大きく広くもなっていったし、悩みが小さくなった気がします。
哲学的思考にもスピリチュアル的にも思えるけど、自分が納得出来ればそれでいいんです。
簡単そうで難しいよね、きっと。だから他の人に強制するようなことも出来ません。出来る事には個人差があるし。それでも受け容れる事が根っこにあるのは確かだと思います。現実を否定しても一歩も前に進めないので、ダメダメな自分を認めて愛してあげたいと思います(^_^;)
小さな一歩でも重なると自信につながるので、仮に失敗したらそれを教訓にすれば次はうまく行くから。失敗したり転んだりすることで得るものも大きいです。なんでもそんなにスムーズにいくわけないんだわ。転ぶのはすごく勉強になるし。マイナス体験も無駄にはしない運命思考の人間でした。
人間は失敗や挫折からしか学べない動物なんだなあ。それで反省して新たな工夫をして次の段階に進むわけで、そこで諦めると止まっちゃうんですよね。それ以上の成長も進化も望めない。だから失敗や挫折は本当に大事。
何事にも波があるから、浮き沈みも浮き輪に掴まって揺られてばいいよ。浮輪は助けになる制度や協力してくれる人達だったりします。
広い世界があることを忘れないで欲しいです。私は精神疾患は視野が狭くなる病気だと思ってるから。辛さの中で感じてる世界が全てじゃないと思います。
こころの支えは自分の中に
身体的な不自由さの中でも、逆に心は広くすることは出来ますし。まあ、その場合は心身のギャップに悩むのですが。
いままで生きていて、いや、本当はもう10代で気がついていたけど、私は「魂は存在する。輪廻転生もある」という確信を持っています。それだけのいろいろなことに出会って来てるから。特に宗教などではありません。でも「天の視点」があるのにも気付いてました。
現在のあらゆる理不尽などが納得出来る視点がそこにありました。現世の80年あまりの人生だけでは説明がつかないことがたくさんありますよね。そういうことが解けていったので。それじゃあ、この視点を励みにして頑張ろうと思いました。
物差しのスケールを大きく広くしたらそれまでの納得出来なかった疑問などが腑に落ちました。
こういうことは両親も認識していたと思います。よく話し合う家族だったので。
東日本大震災で、夫と子供を失った女性に前に現れた「霊の記憶」 @gendai_biz https://t.co/dWNeWmmRz8 #現代ビジネス
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年3月11日
この本、数年前に読みました。私にはとても自然なことに思えました。
人は誰でも大事な人の生命が危機に瀕した時に、もう手を尽くしたら後は祈るしかなくなりますよね。そういう「誰か、あるいはなにか」に対して祈るのと同じかもしれないです。こういう願いとか祈りとかは人類に自然にプログラミングされている感もあるので、特別に宗教じゃなくてもいいのです。
宗教は道徳的、哲学的指針になりそうな気がしますけど。
なんか精神が覚醒するともう多分視野狭窄に陥ることはなさそうな気がします。広い世界を見ちゃうから。落ち込んでも早くて浮上出来ますし。ただ、身体は付いてきてくれないけど(^_^;) だから肉体が存在するのはかなりもどかしいことです。
今を生きるために生かす
私の人生数十年で物凄く中身の濃い経験ばかりしてきたので、逃げずに受け止めて対処法を考えるのが当たり前になった感があります。どういう経験も無駄にしたくないあたりが欲張りですが。
双極性障害とは違う意味でジェットコースター人生だとは思います(^_^;) もしくはサーファー的な?(^^;)
ブログのPVがたまに大きな山になっていることがあって、なんだ?これ?と思って見たら、調子がいい時じゃなくて私の調子が悪い時だったりします。数日に1度しんどくなって休むという時ね。これは20代の頃からのリズムだから仕方がないです。出来なくなったことなんて山のようにあるし(-_-;)
でもいつまでも執着しても仕方がないので、出来ることをなんとかしないと。僅かなエネルギーをやらざるを得ないことに使って削られては行くけどね。
介護なんかも自分が楽しむことにしたからなんとかなった気がします。気の持ちようでなんとかなる病気じゃないけど、前向に受け止めることは可能です。
結果的になにかを乗り越えるたびにポジティブ思考になっていくのが自分でも面白いです(^_^;)
対処法にバリエーションが増えるのも経験から得たありがたさかもしれません(^^)
自分も当事者だから言えることなんだけど、他の人が同じように出来るとは頭から思いません。でも私が少しでもポジティブになれた理由とか参考になれば嬉しいと思います(^^)
まあ、とことん悲劇のヒロインになるのが嫌いなやつなんだと思ってくだされば…(^_^;)
運命は自分で作れるの。 目指せ、ハッピーエンドなんですよ(^^)