うつうつ期間
うつの時は脳みそがラップで包まれた、というのがしっくりくる感があります。
「ラップ包みというと、えらく大事にされているみたいですね (^_^;)」と作業療法士さん。弟の表現だと「釜をかぶっているみたい」になるんですが。
どうも脳内物質の影響なのか、この実感があるのはうつの時だけみたいですねー。「うつ抜け」でも見た覚えがある表現です。
軽躁の最中には希死念慮なんて綺麗さっぱり忘れてるけど、何かのきっかけでドーッと天から降ってくる感じの重さとしんどさが死神の正体なんだろうなあ。軽く払える時とどっぷり乗っかられる時がある。その辺はコントロールが最難度かもね。髪をカットして死神削ってみます。 #Milkカフェ
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 20, 2018
美容院でおおかた寝ながら髪をカットしてもらって、頭は軽くはなったが、脳みそのラップ包みは治っていません。軽躁やフラットの時は感じないから、うつの時に特有のものみたいだね、これって。
ラップ包みの脳みそにはいろいろ限界がありましてね…。頭が冴えてると感じる軽躁の時とはえらい違いです (ーー;)
”自殺する人は「もっと良く生きたい、しかし自分の理想のように生きられない」という思いのあげく自殺する。つまり自殺する人は強烈な「生きたい願望」の持ち主なのだ。そしてうつ病の人も、「もっとかくかくの自分でありたい」という理想がかなわなくてうつになる。そして自分を責める”
— ガラム@双極性障害II型(休職中) (@AL_G_G_LS) December 21, 2018
(蟻塚亮二) https://t.co/1ez7UmFsqb
なんかこれわかる。いい加減なタイプではないからうつになる、と言ってもいいのかもしれないし。
あちこち電話をしたりして、なんとなくやるべき道筋が見えてきた。急ぎではないので、ゆっくり進めていけばいいんだと思う。のろのろやっている、というと作業療法士さんに「いやでも恭子さん頑張ってます」と言われたので、そこでそう言って欲しかったのかな?とふと思った。
いままでの人生で長男とか長女とかはわりと「出来るのが当たり前」みたいに思われているところがあるから、しんどくても頑張っている、という評価は必要なのかもしれないと思う。それでちょっとうつが軽快した感がなくもありませんし… (^_^;)
介護が終わった時に死ねたらよかったなあ…。得たものも大きかったけど、残ったしんどさも半端ない。高齢になっても悩みは尽きないという。こんな人生もうやだ。疲れた。肉体を離れて休みたい。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 20, 2018
バーンアウトの影響が残る心境。
次の課題と手順
もう来年の仕事になると思いますが、司法書士さんに相談する必要がありますね。昨日弁護士さんに電話で相談したら、揉めてない場合はあんまりやることがありません、と言われてそうもそうだなあ、と納得。あとは弟と相談も必要ですし。あ、ここの不動産の名義変更について、ですけどね。
この先やはり必要になるかもしれないので。
しかし、うちの親族にこの「士」のつく職業の人がいないわ。ちょっと意外なくらい。法学部卒でも弁護士さんとかにはなってないし。当然、司法書士さんもいません。家系の職業の偏りが見えますね。
母の同級生に弁護士さんがいらしたけど、もうご健在かどうかわかりませんし。(母と同年だし)まあ、この先、いい方とご縁があるといいなあ、と願っています。
うつの最中の決断は誤りやすい?
判断力、決断力が低下する(例えば、決済の印鑑を押すのにあれこれと悩んでしまい、時間がかかるようになる、本当はあまり重要でないことばかりしてしまう、困っていることの解決を他人に押し付けるなど)。
介護中でも思いましたが、私はやはり決断が必要なことに向き合うのがストレスみたいです。だからもう本能的に避けようとするけど、結局避けきれないみたいな (ーー;)
介護中はよく逆流性食道炎みたいな症状があって、介護が終わってからその症状も収まっていたんですが、でもここ数日いろいろ考えることがあったので、その症状がちょっと復活してたんです。胃の働きも落ちてたし。解決に向かうとそれも軽快すると思われます。
「まあ、そういうのはストレスですよねー」と同意されましたが。決断は大抵向こうからやってくるから、避けようがないということなんだなあ、と思います。
これから読む予定の本。「生と死」は一体になって私の生涯のテーマみたい。
精神科の先生とのやりとりのメモなど
躁うつ病、特に「2型」と言われる双極性障害を抱える人には、「低め安定」という生きかたの価値がよく分かるという人が多いかもしれない。
— いちは (@BookloverMD) December 19, 2018
この価値に気づき、生きかたや治療目標を組み直せて、安定できた人は幸いだと思う。
低め安定の価値を伝え、共有できる主治医でありたい。
低め安定は難しいなあ。だってやや高めは創作の喜びと密接に結びついているから。後で反動が来るとわかっていてもクリエイティブな喜びがないと生きてる意義を感じないんですよね。だから苦しくてもテンション上げてしまうことがあって。平穏な日々に納得出来ない破滅型かも…(-_-;) https://t.co/4ipSo8skgb
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 21, 2018
双極あって芸術志向のかたは、おそらくかなり似たような感覚をお持ちの人が多いと思います。
— いちは (@BookloverMD) December 21, 2018
軽躁のときの一瞬のきらめきと、そこで発揮される感性に、ツラいうつ状態の体験が活かされるということもありそうです。
それもまた「その人の生きかた」であろうかと思います。
双極性障害を抱えた芸術志向の人は、低め安定が嫌という傾向が強いかもしれない。
— いちは (@BookloverMD) December 21, 2018
軽躁のときの一瞬のきらめきと、そこで発揮される感性に、ツラいうつ状態での体験が活かされるということもあるだろう。
それもまた「その人の生きかた」。
同伴者としての主治医は、生きかたの邪魔をしてはいけない。 https://t.co/dGEpL44aTY
後悔しない生き方はどこまでも自分が選択するんですよね。
…というか、自分はそういうふうにしか生きられない、というのが正しいのかも。